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上条高敬
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上条 高敬(かみじょう たかひろ、1940年9月26日 - 2017年11月17日[1])は、東京都足立区[2]出身のプロ野球選手(投手、内野手、外野手 )。1963年までの登録名は上条 皇裕(読み同じ)。
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来歴・人物
足立高等学校ではエースとして活躍。1957年秋季東京大会準々決勝に進出するが修徳高に完封負け。翌1958年夏の甲子園都予選でも準々決勝に進むが、日大二高に惜敗。
1959年、大毎オリオンズに入団。同年は10試合に登板、9月2日には近鉄との対戦で6回からリリーフし初勝利を飾る。
しかしその後は活躍の機会がなく、1961年には野手転向。内外野をどこでもこなせるユーティリティプレイヤーとして重宝された。同年は柳田利夫の控えながら遊撃手として11試合に先発出場、この年発足したイースタン・リーグでは打率.424を記録し、リーグ初の首位打者を獲得する[3]。翌1962年は開幕から遊撃手、八番打者に抜擢される。打撃面で結果を残せずシーズン後半には失速するが、三塁手としても起用され35試合に先発した。翌1963年から出場機会が減少、1964年限りで現役引退した。その後は会社員となった。
詳細情報
年度別投手成績
年度別打撃成績
- 大毎(毎日大映オリオンズ)は、1964年に東京(東京オリオンズ)に球団名を変更
背番号
- 36 (1959年 - 1961年)
- 9 (1962年 - 1963年)
- 13 (1964年)
登録名
- 上条 皇裕 (かみじょう たかひろ、1959年 - 1963年)
- 上条 高敬 (かみじょう たかひろ、1964年)
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脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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