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上林繁次郎
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上林 繁次郎(かんばやし しげじろう、1917年〈大正6年〉1月13日 - 2002年〈平成14年〉2月8日[1])は、日本のプロ野球選手、政治家。
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来歴・人物
日大三中から明治大学へ進学。卒業後に満洲電電へ進み、1947年に中部日本ドラゴンズへ入団[1]。
1949年に東急フライヤーズへ移籍[1]。この年は93試合に出場し、翌年も73試合に出場した。東急時代にバッテリーを組んでいた白木義一郎(池田大作の妻・香峯子の従兄弟)に折伏されて創価学会に入信。
1952年に毎日オリオンズへ移籍し、1953年に現役引退[1]。1954年から2年間、高橋ユニオンズでコーチを務めた。
1955年のシーズン中に創価学会を支持母体として船橋市市議会議員選挙に立候補して当選[2]。同じく創価学会信者であったエースの野村武史や二軍監督の小田野柏と3人で、試合そっちのけで選挙運動をしていたことが問題となり、ユニオンズを退団。
以後、創価学会文化部から公明政治連盟を経て政界へと進出。船橋市市議会議員、千葉県県議会議員を務め[1]、1967年の第31回衆議院議員総選挙で千葉1区から公明党で出馬するも次点で落選。1968年の第8回参議院議員通常選挙に再び公明党から出馬して初当選した。1974年の第10回参議院議員通常選挙で再選し、1980年に政界引退するまで2期12年参院議員を務めた[1]。
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詳細情報
年度別打撃成績
- 中部日本(中部日本ドラゴンズ)は、1948年に中日(中日ドラゴンズ)に球団名を変更
背番号
- 22 (1947年 - 1948年)
- 21 (1949年 - 1951年)
- 26 (1952年 - 1953年)
- 50 (1954年)
- 43 (1955年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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