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下谷本町
横浜市青葉区の町 ウィキペディアから
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下谷本町(しもやもとちょう)は、神奈川県横浜市青葉区の地名。「丁目」の設定のない単独町名である。住居表示未実施区域。
地理
横浜市青葉区南部に位置する。東と北に市ケ尾町、西に藤が丘、南に横浜市緑区北八朔町と接している。
元は鶴見川西岸沿いの平地と西側の丘陵地を含んでいたが、丘陵地が多摩田園都市の土地区画整理事業により分離されたため、鶴見川沿いの平地だけになった。藤が丘一丁目と隣接するJA横浜中里支店周辺を除く全域が市街化調整区域になっている。
歴史
沿革
- 1868年(慶応4年)6月17日 - 神奈川府が設置され、神奈川府都筑郡大場村となる。
- 1868年(明治元年)9月1日 - 神奈川府が神奈川県となり、神奈川県都筑郡石川村となる。
- 1889年(明治22年) - 都筑郡市ケ尾村、鴨志田村、下谷本村、上谷本村、成合村、寺家村、鉄村、黒須田村、西八朔村、北八朔村、小山村、青砥村および下麻生村の一部と合併し、都筑郡中里村大字下谷本となる。
- 1939年(昭和14年)4月1日 - 横浜市に編入し、新市域の一部より港北区となる。また、大字が町となり、横浜市港北区下谷本町となる[5]。
- 1966年(昭和41年)11月6日 - 土地区画整理事業(下谷本西八朔)[6]に伴い、下谷本町の一部を上谷本町と新設された藤が丘一丁目、藤が丘二丁目、つつじが丘へ編入する[7]。
- 1968年(昭和43年)11月6日 - 土地区画整理事業(下谷本第二)[6]に伴い、下谷本町の一部を藤が丘一丁目、藤が丘二丁目、梅が丘、新設された千草台へ編入する[8]。
- 1969年(昭和44年)10月1日 - 港北区から緑区が分区。横浜市緑区下谷本町となる[9]。
- 1970年(昭和45年)2月26日 - 土地区画整理事業(西八朔第二)[6]に伴い、下谷本町の一部を梅が丘、千草台へ編入する[10]。
- 1971年(昭和46年)1月15日 - 土地区画整理事業(上谷本第一)[6]に伴い、下谷本町の一部をもえぎ野、藤が丘一丁目、藤が丘二丁目へ編入する[11]。
- 1973年(昭和48年)9月26日 - 土地改良事業に伴い、北八朔町、西八朔町、上谷本町の各一部を下谷本町に編入し、市ケ尾町との境界を変更する[12]。
- 1974年(昭和49年)9月26日 - 土地区画整理事業(上谷本第二)[6]に伴い、下谷本町の一部を新設された柿の木台へ編入する[13]。
- 1983年(昭和58年)12月28日 - 土地改良事業に伴い、下谷本町の一部を北八朔町へ編入する[14]。
- 1994年(平成6年)11月6日 - 港北区と緑区を再編し、青葉区と都筑区を新設。横浜市青葉区下谷本町となる[15]。
町名の変遷
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世帯数と人口
2025年(令和7年)6月30日現在(横浜市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2024年11月時点)[22]。
事業所
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[23]。
事業者数の変遷
経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷
経済センサスによる従業員数の推移。
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交通
道路
施設
- 谷本公園
その他
日本郵便
警察
町内の警察の管轄区域は以下の通りである[26]。
参考文献
- “横浜市町区域要覧” (PDF). 横浜市市民局 (2016年6月). 2022年9月6日閲覧。
脚注
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