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中村有志

日本のお笑いタレント、コメディアン、俳優、司会者 (1956-) ウィキペディアから

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中村 有志(なかむら ゆうじ、1956年7月8日 - )は、中村 ゆうじの芸名で活動している日本のお笑いタレントコメディアン俳優司会者新劇パントマイムコメディアン経験者[1]。なお、本名で活動していた期間もある。福岡県小倉市(現:北九州市小倉北区)出身。国籍は日本。所属事務所は現在はなく、フリーで活動中。

概要 中村 ゆうじ, 本名 ...
概要 中村ゆうじ, YouTube ...
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経歴

要約
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福岡県小倉市(現在の北九州市小倉北区)の旦過市場内にあった「中村靴店」で自宅出産で誕生。3人の兄と2人の姉がいる6人きょうだいの末っ子で、父56歳、母44歳の時の子のため、母親は恥ずかしくて中絶しようとしたそうだが、直前に知った父親に産んでほしいと強く言われ思いとどまったことで生まれたという[2]。中学2年の時に父親が体調を崩して引っ越すまで同地で暮らしていた[3]

福岡県立小倉南高等学校卒業後、1975年に劇団付属養成所「テアトル・エコー」入所。1977年、ロルフ・シャレと出会いパントマイムの道を志すようになり、1987年にはパリへ単身渡航し修業に励んだ。

1981年コントグループ「東京バッテリー工場」で、『ザ・テレビ演芸』(テレビ朝日)にて二代目グランドチャンピオン。1983年の脱退後ピンで再挑戦し、七代目グランドチャンピオンに輝く。脱退の理由としては、当時のリーダー原みつおと大喧嘩になり、「二度と顔をあわせたくない。」と喧嘩別れをして、本当に原みつおが死んでしまい会えないままになってしまった。

1985年シティボーイズ大竹まこと斉木しげるきたろう)・竹中直人いとうせいこう宮沢章夫らと結成したギャグユニット「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」に参加し活躍。

1988年、いとうとファンキー・キング名義で『FUNKY KING Part.1』をリリース(小林克也ヤン富田プロデュース)楽曲を提供した[4]ジェームス・ブラウンの『セックスマシーン』 「Get Up (I Feel Like Being a) Sex Machine」をカバーし、「ギロッポン」「広尾な」「沖識名」等のシャウトの応酬が、一部でカルト的な人気を博す。ジェームス・ブラウンのファンでもある。

1992年に「中村ゆうじ」から本名の「中村有志」へ改名し、以後はテレビ番組司会リポーターや舞台など幅広く活動している。特に『TVチャンピオン』(テレビ東京)では長きにわたりリポーターを務め、さかなクンジャイアント白田ギャル曽根アンジェラ佐藤など中村が付けたあだ名でタレント活動を行っている出場者も多い[5]

2011年にインディーズバンドの登竜門である「PROJECT U PLUS」のオフィシャルサポーターに就任。

2012年歌舞伎町・新宿クレージーナイトにて、息子でラバーフェチであるTentokuと初共演。

2013年に芸名を本名の「中村有志」から「中村ゆうじ」に戻す。

2016年4月3日放送の『元祖!大食い王決定戦 爆食女王 新時代突入戦〜ハワイ編』(テレビ東京)内で、22年間司会を務めてきたテレビ東京の看板と言える大食い番組から引退することを発表した[6][7][8][9]

2016年に再度芸名を「中村有志」に戻し、5回目の芸名変更。2019年には「中村ゆうじ」へと6回目の芸名変更をした。

2023年8月20日放送の『デカ盛りハンター』にて、ネイサンズ国際ホットドッグ早食い選手権の密着レポーターとしてテレビ東京の大食い番組に復帰[10]。2024年4月29日放送の『最強大食い王決定戦』にて、予選および決勝のSP実況として8年ぶりに同番組に出演した[11]

大が付くほどの健康オタクで「健康の為なら死んでもいい」と語り、自分を実験台に様々な健康療法を試している。飲尿法・血液型ダイエットなど『アウト×デラックス』(フジテレビ)では、その健康オタクぶりを披露している。

過去、『大沢悠里のゆうゆうワイド』(TBSラジオ)で、大沢悠里のピンチヒッターとして、『中村ゆうじのゆうゆうワイド』の名前で出演した事がある。

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出演

テレビドラマ

映画

オリジナルビデオ

舞台

ソロ

  • 「YUJI MIME 22」(1997年12年22日ラフォーレミュージアム原宿
  • 「ONNAYUJI」(2000年9年10日ラフォーレミュージアム原宿)
  • 「愛とバカ ユージ」(東京公演:2003年2c28日〜3月1日/ラフォーレミュージアム原宿・大阪公演:2003年3月10〜11日/近鉄小劇場
  • 「ユウジィズ・カット ―YUJI'S CUT―」(2004年9月16〜19日/東京三軒茶屋シアタートラム
  • 「ユウジィズ・ナイト ―YUJI'S NIGHT―」(2008年9月30日/東京新宿紀伊國屋ホール
  • 「ユウジの味」(2009年より不定期ながら継続的に開催中)

客演

  • シティボーイズ・ライブ1995年公演「愚者の代弁者、うっかり東へ」
  • シティボーイズ・ライブ1996年公演「丈夫な足場」
  • シティボーイズ・ライブ1997年公演「NOT FOUND あるいは、レイヴ・ウィズ・ザ・キャッチボールシスターズ」
  • シティボーイズ・ライブ1997年公演「NOT FOUND あるいは、レイヴ・ウィズ・ザ・キャッチボールシスターズ〜非常識な青空」
  • シティボーイズ・ライブ1998年公演「真空報告官ピー(P)」
  • シティボーイズ・ライブ1998年公演「真空報告官ピー(P)大運動会」
  • シティボーイズミックス PRESENTS 「ラ・ハッスル きのこショー」(2001年)
  • シティボーイズミックス PRESENTS 「パパ・センプリチータ」 (2002年)
  • シティボーイズミックス PRESENTS 「NOTA 〜恙無き限界ワルツ〜」(2003年)
  • シティボーイズミックス PRESENTS 「だめな人の前をメザシを持って移動中」(2004年)
  • シティボーイズミックス PRESENTS 「メンタル三兄弟の恋」(2005年)
  • シティボーイズミックス PRESENTS 「マンドラゴラの降る沼」 (2006年)
  • シティボーイズミックス PRESENTS 「モーゴの人々」 (2007年)
  • シティボーイズミックス PRESENTS 「オペレッタ ロータスとピエーレ」 (2008年)
  • シティボーイズミックス PRESENTS 「そこで黄金のキッス」 (2009年)
  • シティボーイズミックス PRESENTS 「10月突然大豆のごとく」 (2010年)
  • シティボーイズミックス PRESENTS 「動かない蟻」 (2011年)
  • シティボーイズミックス PRESENTS 「西瓜割の棒 あなたたちの春に 桜の下ではじめる準備を」 (2013年)

ラジオ

バラエティ

CM

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音楽

FUNKY KING

テレビ朝日『AVガーデン』でのキャラクター名義。いずれもシングルで3枚発表。

  • FUNKY KING PART 1 / GO GO KING(1988)
カップリング「GO GO KING」がいとうせいこう出演のセガ メガドライブCMに使われた。
「FUNKY KING PART 1」のPVは中野裕之が手掛け、それを見たテイトウワが気に入りDeee-Liteのデビュー曲「Groove Is in the Heart」などのPVを依頼した、という経緯がある。
  • MERRY SKA SKA PART1 / (I'M A) EVERYTHING MAN(1988)
  • WELL WELL WELL / THEME OF FUNKY KING(1989)

田代中村南部ハッカ隊

  • COME ON BABY 100 KING GOLD』(2010年5月17日)

脚注

外部リンク

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