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北沢伸也
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北沢 伸也(きたざわ しんや、1971年6月9日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) の栗東トレーニングセンターの藤野健太厩舎に所属する調教助手、元騎手。
戸籍上の本名は常用外漢字が含まれた「北澤 伸也」であるが、JRA及びマスコミにおける常用外漢字の使用制限に従い、本項目では常用漢字の「北沢」で表記する。
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経歴
1971年、東京都江戸川区に生まれる。3歳の時に隣接の千葉県市川市に移住、幼少の頃から父親と一緒に近郊の中山競馬場を訪れていた。北沢を騎手にしたいと望んだ父親の勧めで、中学2年次から乗馬を始め、中学校卒業後、JRA競馬学校騎手課程に第6期生として入学した。主な同期生には江田照男、浜野谷憲尚、村山明、牧田和弥、のちに落馬事故で殉職した玉ノ井健志がいる。
2年次から滋賀県栗東トレーニングセンターの荻野光男厩舎で研修の後、1990年に騎手免許を取得。3月3日に初騎乗、同10日に初勝利を挙げた。デビュー以降しばらくは平地競走のみに騎乗し、初年度は9勝、2年目には24勝と成績を伸ばした。3年目にも23勝を記録したが、若手騎手の負担重量特典が失われた4年目に入ると12勝と成績を落とし、以後数年間15勝前後の成績に落ち着いた。この頃騎乗した馬に、自身が平地GI競走初騎乗(1992年・優駿牝馬)を果たしたカガミセンカやオープン特別競走で3勝を挙げ、1995年の天皇賞(秋)で5着の成績を残した牝馬・ポジーがいる。ただし、平地重賞競走は勝利する事は出来なかった。
1998年から障害競走での騎乗を始めてからはそちらを主戦場とし、2010年からは障害レースに専念。2011年2月28日付で平地免許を更新せず、翌3月1日付から障害競走専門の騎手となった。2002年にミレニアムスズカで阪神ジャンプステークスを制し、デビュー13年目で重賞を初制覇。2010年にはトーワベガで阪神スプリングジャンプを制して重賞2勝目[4]を挙げ、年間では12勝を挙げて優秀障害騎手賞(第2位)を初受賞した。2012年重賞勝利を含む13勝を挙げ、JRA賞最多勝利障害騎手のタイトルを獲得した。
2014年3月8日、マンノプロジェクトで勝利しJRA障害100勝を達成[5]。レッドキングダムで中山大障害を制し、J・GI初優勝を挙げた[6]。
2021年3月14日、中山競馬第4競走をスズカメジャーで勝利しJRA障害競走通算147勝となり、長池辰三のもつ146勝の記録を抜いて歴代単独8位となった[7]。
2024年、騎手免許の更新は行われたものの、2月14日付で本人より騎手免許取消の申請があり、同年3月5日付で騎手免許を返上して引退した。現役最終騎乗は前年の2023年9月10日、阪神競馬第1競走の障害未勝利戦(ラコンチャ・8着)となった。
3月9日に阪神競馬場で引退式が行われた。本人のコメントによれば、前年9月の調教中に落馬したことが「潮時」と考え、引退の契機となったと述べている[8]。騎手引退後は同年3月に開業した藤野健太厩舎所属の調教助手に転業している。
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騎乗成績
要約
視点
受賞
- JRA賞最多勝利障害騎手(2012年 , 2014年)
- 優秀障害騎手賞2回(2012年 , 2014年)
主な騎乗馬
※括弧内は当該馬の優勝重賞競走、太字はGI級競走。
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脚注
参考文献
関連項目
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