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エーシンホワイティ

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エーシンホワイティ(欧字名:A Shin Whity2007年3月27日 - 不明)は、日本競走馬。主な勝ち鞍は2010年のファルコンステークス、2014年の新潟ジャンプステークス

概要 エーシンホワイティ, 欧字表記 ...

馬名の由来は、冠名+白っぽい。

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経歴

要約
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デビュー前

2007年3月27日、北海道新ひだか町千代田牧場で生まれる。2007年、北海道セレクションセール当歳市場において2,610万円(税別)で平井豊光に落札される。

2歳(2009年)

栗東トレーニングセンター松元茂樹厩舎に入厩し、6月28日の2歳新馬(阪神ダート1200m)でデビュー。初戦は4着に敗れる。2戦目から芝を使われ、2歳未勝利をクビ差制し2歳コースレコードのタイムで初勝利を挙げた。続くフェニックス賞は単勝1.9倍の支持を集めたが2着に敗れる。次走、デイリー杯2歳ステークスは7着に終わる。続く2歳500万下は人気に応え、2番手から3/4馬身抜け出して2歳コースレコードをマークし2勝目を飾った。福島2歳ステークスは後方から追い上げるも4着まで。GI挑戦となった朝日杯フューチュリティステークスは最後方からの競馬で9着に敗れた。

3歳(2010年)

3歳初戦、シンザン記念は7着。続くファルコンステークスは道中やや後方から直線外に持ち出すと鋭く伸び、内を突いて伸びてきたトシギャングスターをハナ差交わして1着。重賞初制覇を飾った[2]。次走はニュージーランドトロフィーに進むが11着と惨敗。16番人気で挑んだNHKマイルカップは6着に食い込んだ。しかし、レース後に右撓骨遠位端骨折を発症していることが判明し、長期休養を余儀なくされた[3]

4歳(2011年)

10か月ぶりとなった復帰戦のオーシャンステークスは12着に終わる。続くオーストラリアトロフィーで0.1秒差の3着と好走すると、テレビ愛知オープンではヘッドライナーにハナ差の2着と惜敗した。CBC賞は5着と掲示板を確保した。その後は降級し、降級初戦となったジュライステークスは1.7倍の人気を集めたが、エーシンリターンズとの追い比べに敗れ2着。単勝1.4倍の断然人気で挑んだ彦根ステークスは好位で流れに乗ると、直線入り口で先頭に並び、最後は1馬身1/4差をつけて快勝。降級2戦目でオープンに返り咲いた[4]。その後、セントウルステークスは10着、オパールステークス9着と今ひとつな競馬が続いた。その後は休養に入った。

5歳(2012年)

半年ぶりとなった5歳初戦、春雷ステークスはやや出遅れ気味のスタートで道中最後方から、直線で上がり最速の鋭い伸び脚を見せて外からまとめて差し切り優勝、5勝目を挙げた[5]。続く京王杯スプリングカップは6着に敗れる。中1週で挑んだ安土城ステークスは後方から脚を伸ばすもドリームバレンチノに及ばず2着となった。3か月半ぶりとなったセントウルステークスはブービーの15着と大敗。オパールステークスはゴール前5頭が並ぶ接戦のなか、テイエムオオタカにクビ差の2着と惜敗した。その後、スワンステークス10着、京阪杯9着とそれぞれ敗れた。

6歳(2013年)

6歳になり、淀短距離ステークスは7着。続くシルクロードステークスは0.2秒差の6着となる。その後は、オーシャンステークス、新馬戦以来のダートとなった欅ステークス、函館スプリントステークスと3戦連続13着と惨敗に終わった。休養後、障害転向に向けて調教が行われた。

7歳(2014年)

障害転向初戦、7か月半ぶりの出走となった障害4歳上未勝利で2着と好走する。障害2戦目となった障害4歳上未勝利も2着に入り、3戦目で1.3倍の断然人気に応え5馬身差の快勝。障害初勝利を飾る。3か月ぶりとなった障害3歳上オープンは2番手から直線で逃げるニジブルームを交わして1着、連勝を飾った。重賞挑戦となった新潟ジャンプステークスは3コーナーで先頭に立つと、直線で加速しそのまま独走。後続に10馬身差をつける圧勝で平地・障害の重賞制覇を成し遂げた[6]。次走、東京ハイジャンプはいったん先頭に立つも最後にサンレイデュークにクビ差差し切られ2着に敗れた。断然人気で挑んだ秋陽ジャンプステークスは2着とは接戦だったが、3着以下に大差をつけるレコードタイムで制して障害連対記録を7に伸ばした[7]

8歳(2015年)- 9歳(2016年)

8歳初戦、春麗ジャンプステークスはゴール前でダノンゴールドを捕えて1着[8]。障害5勝目を飾ると、3か月後の障害4歳上オープンを2着に5馬身差、3着には大差をつけて1着、レコードタイムで3連勝を飾った。1.4倍の人気でのレースとなった東京ジャンプステークスは前目につけるも馬群に飲まれ9着と惨敗。連続連対記録が9でストップした。連覇を狙った新潟ジャンプステークスは3着と善戦する。続く東京ハイジャンプは逃げ切ったサナシオンに2馬身半差の2着に敗れた。次走、秋陽ジャンプステークスは5着に敗れる。その後は怪我により長期離脱となった。

9歳になっても現役を続け、9か月ぶりとなった復帰戦、新潟ジャンプステークスはブービーの13着と惨敗。これが最後のレースとなり、9月8日付けで競走馬登録を抹消された[9]。障害では全レースを北沢伸也が乗り続けた。

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競走成績

要約
視点

以下の内容は、JBISサーチ[10]およびnetkeiba.com[11]に基づく。

さらに見る 競走日, 競馬場 ...
  • タイム欄のRはレコード勝ちを示す。
  1. 障害戦は平均1F
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血統表

エーシンホワイティ血統(血統表の出典)[§ 1]
父系テスコボーイ系
[§ 2]

サクラバクシンオー
1989 鹿毛
父の父
サクラユタカオー
1982 栗毛
*テスコボーイ
Tesco Boy
Princely Gift
Suncourt
アンジェリカ *ネヴァービート
スターハイネス
父の母
サクラハゴロモ
1984 鹿毛
*ノーザンテースト
Northern Taste
Northern Dancer
Lady Victoria
*クリアアンバー
Clear Amber
Ambiopoise
One Clear Call

ライジングサンデー
1998 鹿毛
*サンデーサイレンス
Sunday Silence
1986 青鹿毛
Halo Hail to Reason
Cosmah
Wishing Well Understanding
Mountain Flower
母の母
タレンティドガール
1984 鹿毛
*リマンド Alcide
Admonish
チヨダマサコ *ラバージョン
ミスオーハヤブサ
母系(F-No.) ビューチフルドリーマー(GB)系(FN:12号族) [§ 3]
5代内の近親交配 アウトブリード [§ 4]
出典

脚注

外部リンク

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