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吉本亮 (内野手)
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吉本 亮(よしもと りょう、1980年5月8日 - )は、熊本県宇城市出身の元プロ野球選手(内野手)、コーチ。
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経歴
要約
視点
プロ入り前
九州学院高校では1学年下の高山久と共に活躍し、3年夏に甲子園出場。初戦で平塚学園に逆転負けを喫して敗退するも、自身は2打席連続本塁打を放った。1試合2本塁打は大会史上29人目、2打席連続は史上12人目。高校通算66本塁打で、その年4月の鎮西高校とその他1校との変則ダブルヘッダーで行われた練習試合では5打席連続本塁打を記録した[1]。
1998年のドラフト会議において福岡ダイエーホークス(当時)に1位指名され入団(第3回AAAアジア野球選手権大会日本代表新垣渚の外れ1位)[2]。
プロ入り後
1999年、2年目2000年には一軍出場がなく、3年目の2001年シーズンの終盤に初めて一軍に昇格。プロ初出場、初安打を記録。また、2年ぶり2度目のフレッシュオールスターゲーム出場果たしたウエスタン・リーグ選抜の5番打者として先発出場果たし、同リーグで本塁打王、打点王を獲得した[3]。
2004年に登録名を「吉本 龍生」(読み同じ)に変更。同じ三塁手である小久保裕紀が読売ジャイアンツに移籍し、6年目にして初の開幕スタメンで出場。プロ入り後最多の56試合に出場したが、一軍定着はならなかった。
2006年に再び登録名を本名の「吉本 亮」に変更。
2008年は8年ぶりに一軍出場なしに終わり、二軍でも82試合に出場しながら打率.218と不振。同年オフにホークスから戦力外通告を受ける。2度の12球団合同トライアウトに参加し、東京ヤクルトスワローズに入団[4]。
2009年8月に宮本慎也の離脱により一軍での出場機会を得る。8月21日の読売ジャイアンツ戦で7番・三塁手でスタメン出場、プロ入り11年目にして豊田清から初の本塁打を放った。一軍では代打や守備固めなどで出場を重ね、打数は少ないものの打率.360を記録した。
2010年は打率.214と奮わず、22試合出場に留まり、再度後退した。6月1日の古巣・ソフトバンク戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)では、移籍後初の同球場での出場となった。この試合では、1点を追う7回表に杉内俊哉から代打同点適時二塁打を放ち、続く青木宣親の適時打で決勝のホームを踏み、古巣に痛烈な恩返しを見せた。
2011年は一軍での出場は無く、二軍でも70試合に出場したものの打率.205と振るわなかった。10月9日、戦力外通告を受けた[5]。12月2日、自由契約公示されて引退した。
現役引退後
2012年1月16日、ソフトバンクのチーム運営部のスタッフに就任した[2]。
2018年からはソフトバンクの三軍打撃コーチとして現場に復帰[6]。2022年は二軍打撃コーチ[7]、2023年は一軍打撃コーチを務め[8]、2024年からは再び二軍打撃コーチを務める[9]。2024年限りで退団[10]。2025年からはプロスカウトを務める[11]。
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詳細情報
年度別打撃成績
- ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更
記録
- 初記録
- 初出場:2001年9月30日、対大阪近鉄バファローズ28回戦(福岡ドーム)、8回裏に秋山幸二の代打で出場
- 初打席・初安打:同上、8回裏に高木康成から三塁内野安打
- 初先発出場:2001年10月3日、対オリックス・ブルーウェーブ28回戦(グリーンスタジアム神戸)、8番・一塁手で先発出場
- 初打点:2002年7月31日、対オリックス・ブルーウェーブ17回戦(グリーンスタジアム神戸)、5回表にユウキから
- 初盗塁:2003年5月2日、対千葉ロッテマリーンズ3回戦(福岡ドーム)、3回裏に二盗(投手:川井貴志、捕手:清水将海)
- 初本塁打:2009年8月21日、対読売ジャイアンツ14回戦(明治神宮野球場)、7回裏に豊田清から右越2ラン
背番号
- 5(1999年 - 2005年)
- 50(2006年 - 2008年)
- 40(2009年 - 2011年)
- 70(2018年 - 2020年)
- 77(2021年 - 2024年)
登録名
- 吉本 亮(よしもと りょう、1999年 - 2003年、2006年 - 2011年)
- 吉本 龍生(よしもと りょう、2004年 - 2005年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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