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安達俊也
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安達 俊也(あだち としや、1965年6月21日 - )は、愛知県刈谷市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投両打。
経歴
プロ入り前
刈谷市立富士松北小学校[1]、刈谷市立富士松中学校[2]を卒業し、愛工大名電高等学校(入学した当時の校名は、名古屋電気高校)に進学。2学年先輩に工藤公康・山本幸二・中村稔、1学年先輩の高橋雅裕とは二遊間を組み、後を受けて遊撃手となると3年春の県大会決勝で藤王康晴のいた享栄高に勝って優勝。
1983年のプロ野球ドラフト会議で近鉄バファローズから5位指名を受け入団。
近鉄時代
1985年に一軍初出場を果たす。村上隆行が遊撃手から外野に転向したプロ5年目の1988年から一軍に定着し、主に代打、代走、守備固めと存在感を示す。10.19の第1、2試合ともに代走で出場。
1990年にはオールスターゲームに遊撃手部門でファン投票で選出され初の球宴出場を果たす。1993年11月29日には、翌1994年度の年俸2350万円(前年比150万円減額)で契約更改した[3]。しかし、吉田剛や水口栄二の台頭で1994年以降から出場試合数が激減。
1996年はついに一軍出場試合数ゼロとなり、同シーズンオフに現役を引退。現役時代は俊足が武器で内野ならどこでも守れるというユーティリティープレイヤーとして活躍した。
現役引退後
引退後は、近鉄、オリックス・バファローズの東海・北信越地区のスカウトをしていたが、2012年で退団。担当した選手は西勇輝など[4]。
2015年より埼玉西武ライオンズとスカウトとして契約[5]。担当した選手は源田壮亮、平井克典[6]、與座海人[7]など。
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詳細情報
年度別打撃成績
記録
- 初記録
- 初出場:1985年7月9日、対日本ハムファイターズ11回戦(後楽園球場)、8回裏に吹石徳一に代わり二塁手として出場
- 初先発出場:1988年4月8日、対阪急ブレーブス1回戦(阪急西宮球場)、「9番・遊撃手」として先発出場
- 初安打・初打点・初本塁打:1988年4月9日、対阪急ブレーブス2回戦(阪急西宮球場)、2回表に山沖之彦から右越ソロ
- その他の記録
背番号
- 58(1984年 - 1989年)
- 25(1990年 - 1996年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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