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富沢幹雄
日本の将棋棋士 ウィキペディアから
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富沢 幹雄(とみざわ みきお、改名前は富沢伝助、1920年4月20日 - 1998年1月10日)は、将棋棋士。山本樟郎八段門下。棋士番号は34。福島県生まれ。
経歴
1943年に四段となり、4年目に第1期順位戦(1946年度)が行われ、富沢はC級で戦う。
第4期順位戦(1949年度)C級甲組で、5勝3敗の成績ながら東の9名中2位となり、B級へ昇級(棋士人生で唯一の昇級)。第7期(1952年度)からB級が2つに分割され、富沢はB級2組に振り分けられる。
1951年7月から病気休場し、その頃に伝助から幹雄に改名する。休場は長引き、復帰は1958年であった。以降30年以上にわたって指し続けるが、1992年2月以降の対局を不戦敗とし、また1992年度、1993年度を休場したのち1994年3月をもって引退。
1998年1月10日、肺炎のため死去。享年77。
人物
棋風
昇段履歴
→昇段規定については「将棋の段級」を参照
- 1935年 : 入門
- 1943年 4月 1日 : 四段 = プロ入り
- 1944年 4月 1日 : 五段
- 1947年 5月10日 : 六段(順位戦C級での成績)
- 1950年 4月 1日 : 七段(順位戦B級昇級)
- 1976年4月20日 : 八段(贈八段 = 将棋会館落成式表彰)
- 1994年 4月 1日 : 引退
主な成績
在籍クラス
→竜王戦と順位戦のクラスについては「将棋棋士の在籍クラス」を参照
年度別成績
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表彰
- 現役勤続50年表彰(1992年)
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放送
脚注
関連項目
外部リンク
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