トップQs
タイムライン
チャット
視点
小手川宏基
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
Remove ads
小手川 宏基(こてがわ こうき、1989年9月12日 - )は、大分県大分市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー[1]。マネジメント会社はジャパン・スポーツ・プロモーション(JSP)[2]。
![]() | サッカー選手の所属を新クラブに移行するタイミングについては、プロジェクト:サッカー選手をご参照ください。(2016年12月) |
Remove ads
来歴
要約
視点
プロ入り前
大分トリニータU-18時代・3年次の2007年2月にトップチームの宮崎キャンプに参加し、キャンプ中の練習試合では非凡な得点能力を見せた[3]。その後、トップの2種登録選手に登録されると、J1第2節・ジュビロ磐田戦の2日前となる3月10日に居残り練習中のセルジーニョが負傷。当時の監督のシャムスカは、同じく居残り練習をしていた小手川を追加メンバーとして遠征招集。突然の招集であった為スーツを持っておらず、高校の制服姿で帯同した[4]。その試合(17歳5か月)でJ1デビューを飾り、大分の当時の最年少出場記録を塗り替えた(現在の記録保持者は為田大貴で17歳1か月)。その後のナビスコ杯第1節の横浜FC戦ではスタメンデビューも果たすなど、この年は公式戦5試合に出場。
大分トリニータ
2008年に正式にトップ昇格[3](同期入団は清武弘嗣・井上裕大ら)を果たして以降は試合出場機会が少なかったが、2010年には前年引退した西山哲平から背番号7を引き継ぎ、更にはサイドバックとして開幕スタメンを飾り序盤戦はレギュラーとして試合に出場。しかし4月25日のJ2・第8節・ギラヴァンツ北九州戦で負傷し全治3か月と診断され戦前離脱[5]。復帰試合は翌2011年11月6日の第34節・ジェフユナイテッド千葉戦となり(後半37分、前田俊介と交代出場)、日数にして実に560日ぶりの公式戦復帰となった。2012年は3月4日のJ2開幕戦・ザスパ草津(現・ザスパクサツ群馬)戦でリーグ戦初ゴールを挙げた。当時自己最多のリーグ戦13試合に出場するもレギュラー奪取する事はできず、同年限りで契約満了により大分を退団した[6]。
ギラヴァンツ北九州
2013年、ギラヴァンツ北九州に加入[7]。監督の柱谷幸一から期待を込められ加入年から背番号10を背負った[8]。2013シーズンはリーグ前半戦で7得点を記録。後半戦は得点数は伸び悩み計8得点となったが、プロ入り後初めてシーズンを通じ先発として試合出場を継続した。以後2016年シーズンまでの4年間で、リーグ戦計166試合に出場。欠場した試合は僅か2試合だけであった。しかし、2016年に北九州がJ2リーグ戦最下位となり、J3降格の憂き目に遭う事となった。
大分トリニータ復帰
2017年、大分に完全移籍で5年振りに復帰[9]。2年目の2018年にはチームのJ1昇格に貢献した。J1に舞台を移した翌2019年以降は出場機会を減らし、2020年を以て契約満了により大分を退団[10]。
松本山雅FC
2021年、松本山雅FCに加入し[11]、リーグ戦20試合に出場したが、チームはJ3降格となり、同年限りで契約満了となった[12]。
ジェイリースFC
Remove ads
所属クラブ
個人成績
2007年は2種登録
その他の国際公式戦
タイトル
クラブ
- 大分トリニータ
個人
- J2 Exiting22:1回(2013年)
脚注
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads