トップQs
タイムライン
チャット
視点

山中亮輔

日本のサッカー選手 ウィキペディアから

Remove ads

山中 亮輔(やまなか りょうすけ、1993年4月20日 - )は、千葉県柏市出身のプロサッカー選手Jリーグ名古屋グランパス所属。ポジションはミッドフィールダーフォワードディフェンダー。元日本代表

概要 山中 亮輔, 名前 ...

サッカー日本代表史上初出場からの最速得点記録保持者(初出場から2分、2018年)。

Remove ads

来歴

要約
視点

プロ入り前

小学校4年時に柏エフォートFC(柏レイソル提携クラブ)から柏レイソルのアカデミーに加入。高校時代から各世代の年代別日本代表に選出された。2010年2月、16歳でトップチームに2種登録された[1]2011年、まだ下部組織所属の高校生でありながらクラブワールドカップのメンバーに登録され、出場機会はなかったもののベンチ入りを果たした[2]

柏レイソル

2012年、トップチームへ昇格[3]。同年のJ1最終節鹿島アントラーズ戦で公式戦初出場を果たすと、天皇杯では4回戦の横河武蔵野FC戦で初先発。準決勝の横浜F・マリノス戦では、出場停止の橋本和に代わり左サイドバックで先発出場し、積極果敢な突破やゴールライン際でのクリアなど堂々たるプレーを披露し、チームの優勝に貢献した。

2013年、第2節FC東京戦で途中出場。第3節ベガルタ仙台戦でJ1リーグ初先発すると、後半レアンドロ・ドミンゲスの同点ゴールのアシストを記録するが、終了間際に決勝点となる失点に絡み、守備への課題も見せた。第6節ヴァンフォーレ甲府戦で通算450分出場を達成し、プロA契約を締結した[4]。第9節サンフレッチェ広島戦では対面するミキッチとの攻防でサポーターを沸かせた。この年はリーグ戦4試合に先発、計10試合に出場した。

2014年J2ジェフユナイテッド千葉期限付き移籍[5]。第2節ファジアーノ岡山戦でプロ初ゴールを記録した。

2015年、柏に復帰[6]。監督の吉田達磨の「俺たちには山中がいるじゃないか」[7] という言葉に表れるように期待は大きかったが、同じくユース出身の輪湖直樹に出場機会を譲ることが多く、リーグでは11試合の出場に終わった。退任が決まっていた吉田はリーグ戦最終節の試合後に山中について触れ[8]、今後の成長に期待を寄せた。

2016年オリンピック予選での活躍から始まった。開幕直後はシーズン当初に監督を務めたミルトン・メンデスからスーパーサブとして起用され、下平隆宏に監督交代した当初も負傷はあったが[9]、先発出場の機会も得た。4月30日の1st第9節ヴィッセル神戸戦で直接FKからJ1リーグ初得点。しかし5月8日の1st第11節川崎フロンターレ戦の試合終了間際に再び負傷し[10]、離脱を余儀なくされた。この間にチームでも定位置を失い、オリンピック本戦の最終メンバーからも落選となった。その後の先発出場の機会は、輪湖の出場停止によって得た9月25日の2nd第13節ヴァンフォーレ甲府戦のみであった。

横浜F・マリノス

2017年、横浜F・マリノスへ完全移籍[11][12]。第15節のFC東京戦で初スタメンを飾ると第17節の大宮アルディージャ戦で左サイドからミドルシュートを決めそこからチームの要としてレギュラーに定着した。

2018年、アンジェ・ポステコグルーが監督に就任すると「偽サイドバック」として話題を集め、代表視察に訪れたコーチからも褒められるなど着々と実力を伸ばし、日本屈指の左SBに成長した。8月10日、トルコリーグ1部、イスタンブール・バシャクシェヒルFKから完全移籍でのオファーが来ていることを認めたが残留した[13]

浦和レッズ

2019年、浦和レッズへ完全移籍[14]。チーム自体がクラブ史に残る低迷を始めており、2017年から毎シーズン監督が代わり続ける中、同期入団のエヴェルトン杉本健勇鈴木大輔といった新戦力と同様にチームにフィットせず、ちぐはぐな強化方針の犠牲者の一人となった[15]。クラブは山中の不振により、夏に関根貴大を呼び戻す必要に迫られた。その後、クラブは強化部を一新、2020年を「変革元年」、2021年は「飛躍の年」、2022年に「リーグ優勝」を掲げた[16]

セレッソ大阪

2021年12月26日、セレッソ大阪へ完全移籍[17]。 12年間に渡って左サイドバックの地位を築いていた丸橋祐介が精彩を欠く中で、小菊昭雄監督によってスタメンに抜擢され活躍、守備力も向上し、以降は怪我による離脱期間以外は先発出場だった[18]

2023年、前年に引き続いて唯一無二の高精度のクロスで不可欠な存在であり、11節のガンバ大阪戦では代名詞のクロスで決勝点をアシストして勝利に貢献したが、結果的にこれがセレッソで記録した最後のアシストとなった。その後は、怪我で長期離脱してほとんど出場が無く、シーズン終了となった[19]

名古屋グランパス

2023年12月20日、名古屋グランパスへ完全移籍することが発表された[20]

日本代表

2018年11月7日、キリンチャレンジカップに挑む日本代表に初招集された。同年11月20日のキリンチャレンジカップの対キルギス戦でスタメンとして代表デビューを果たし、日本代表史上最速の代表デビューから2分で初得点を挙げた[21]

Remove ads

プレースタイル

セレッソ大阪時代のチームメイトアダム・タガートからは「信じられないほど素晴らしいクロスを供給してくれる。チームの大きな武器です」と称賛を受けた[22]

所属クラブ

個人成績

さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...
その他の公式戦
さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...
さらに見る 国際大会個人成績, FIFA ...
その他の国際公式戦

出場歴

Remove ads

タイトル

クラブ

柏レイソル
浦和レッズ
  • 天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会:1回(2021年
名古屋グランパス

代表

U-23日本代表

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 2試合 1得点(2018年-2019年)
さらに見る 日本代表, 国際Aマッチ ...

出場

さらに見る No., 開催日 ...

ゴール

さらに見る No., 開催日 ...
Remove ads

脚注

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads