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山本拓 (政治家)
日本の政治家、内閣総理大臣配偶者 (1952-) ウィキペディアから
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山本 拓(やまもと たく、1952年〈昭和27年〉7月7日 ‐ )は、日本の政治家、内閣総理大臣配偶者。勲等は旭日大綬章。第104代内閣総理大臣である高市早苗の夫。戸籍上の氏名は、髙市 拓(たかいち たく)[1][2]。
農林水産副大臣(第1次安倍内閣)、衆議院政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員長、同懲罰委員長、同北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員長、衆議院議員(8期)、福井県議会議員(2期)等を歴任した。
父は鯖江市長、福井県議会議長、自民党福井県連幹事長を歴任した山本治。父方の祖父は福井県議会議員を務めた山本雅雄。義理の伯父に海軍少将の山田清。妻は第104代内閣総理大臣、衆議院議員の高市早苗(2004年 - 2017年、2021年 - )[3]。高市との最初の結婚前にも結婚歴が1度あり、1男2女の父親。孫が4人いる。2025年10月、高市が日本憲政史上初の女性首相に就任したことに伴い、山本も日本初の「ファースト・ジェントルマン(ファースト・ハズバンド)」、男性初の首相配偶者となった[4]。
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来歴
要約
視点
生い立ち
出馬
鯖江青年会議所理事長を経て、福井県議会議員選挙に出馬し、2期務める[5][6]。1990年(平成2年)、第39回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で福井県全県区から出馬し、当選した。
1994年(平成6年)、新井将敬、太田誠一、柿澤弘治、佐藤静雄、米田建三と山本の6人で自民党を離党し、保守系無所属の高市早苗を加えて自由党(柿澤自由党)を結党[7][8]。羽田内閣で党首の柿澤が外務大臣に就任し、与党入りする。羽田内閣総辞職後、元首相の海部俊樹を党首に自由改革連合を結成に参加し、同年末の新進党結党に合流する[要出典]。
小選挙区比例代表並立制導入に伴い、1996年(平成8年)の第41回衆議院議員総選挙では福井2区から新進党公認で出馬したが、自民党の牧野隆守に敗れ、落選。1997年(平成9年)1月に新進党を離党し、福井県知事選挙に無所属で出馬したが、現職の栗田幸雄に大差で敗北した。2000年(平成12年)の第42回衆議院議員総選挙への出馬も見送ったが、この間に自民党に復党。2003年(平成15年)の第43回衆議院議員総選挙には自民党公認で福井2区から出馬し、当選。
2004年(平成16年)、当時は落選中だった高市早苗と結婚[3]。高市が2005年(平成17年)の第44回衆議院議員総選挙で当選したことで、夫婦共に衆議院議員となった。2006年(平成18年)に発足した第1次安倍内閣で農林水産副大臣に任命された。
2008年自由民主党総裁選挙では麻生太郎に投票したが、翌2009年(平成21年)6月、世論調査で麻生内閣の支持率が2割を切ると、麻生の自由民主党総裁としての任期が切れる9月の総裁選を、第45回衆議院議員総選挙前に前倒しして実施するよう求める署名運動を自民党内で開始(麻生おろし)。6月22日、108人の賛同者がいると発表したが、賛同者の名前は明かさなかった[9]。108人という数字について、党内には真偽を疑う声もあったが、山本は「麻生首相が「やけくそ解散」の準備を始めるなら、前倒しに必要な署名(216人分)を確保して総裁選を実現する」と発言していた[10]。山本の所属する町村派では、同派相談役の森喜朗が「いったん辞めたのを私が身元引受人のようになって入れたのに、また騒動を起こしている。恥ずかしいので派閥から排除してほしい」と述べ[11]、山本の派閥除名を要求した[11]。その後、党執行部の巻き返しにより、総裁選の前倒しの動きは頓挫する。
第45回衆議院議員総選挙では、福井2区で民主党の糸川正晃[12]を破り、5選。2010年(平成22年)11月、翌2011年(平成23年)の第17回統一地方選挙で実施される福井県知事選挙に出馬する意向が報じられた[13]が、最終的に出馬を見送り、自民党は現職の西川一誠を支援した。同年に町村派を退会[14]し、以後は無派閥で活動する[要出典]。
2012年(平成24年)12月の第46回衆議院議員総選挙では、福井2区で民主党の糸川らを破り、6選。選挙後、衆議院北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員長に就任した。2014年(平成26年)12月の第47回衆議院議員総選挙では、0増5減による福井県選挙区の見直しにより、比例北陸信越ブロックに転出することとなった[15]。投開票の結果、7回目の当選。また、町村派退会以来無派閥で通していたが、この選挙の直前に二階派に入会した[要出典]。
2017年7月19日、妻で同僚の高市早苗議員と政治スタンスの違いから離婚を発表[16]。同年10月の第48回衆議院議員総選挙では、比例北陸信越ブロックの自民党単独候補1位として出馬し、8選。
2021年自由民主党総裁選挙では、早々に元妻である高市の支持を公表した[17]。
2021年10月31日の第49回衆議院議員総選挙では、福井2区からの出馬に意欲を示していたが[18]、断念し、比例北陸信越ブロックの単独21位に登載されたが[19][20]、次点で落選した。
2021年(令和3年)12月、前妻の高市早苗との再婚を発表した。再婚に際し、山本が高市姓(髙市拓)に改姓している[21]。
落選・健康不良
2024年10月7日、同月投開票の第50回衆議院議員総選挙に福井2区から立候補する意向を固めたことがわかった。自民党の公認を得たいとしているが、公認されない場合も無所属で出馬する意向という。山本は朝日新聞の取材に「現職の高木毅氏が非公認になることがわかった。党員から『このまま(選挙に)突入すると、誰を応援すればいいのか』という声を聞いた。保守系の受け皿として立候補する」と話した[22]。福井2区には、政治資金問題で自民党の公認を得られなかった高木、立憲民主党の辻英之、日本維新の会の斉木武志らも立候補した[23]。10月27日、投開票が行われ、辻が当選し、斉木、高木に次ぐ、4番目の得票数で敗れた[24]。 2025年に入ってから脳梗塞で倒れて右半身不随になり、妻の高市が介護していることが報じられた[25]。
2025年10月の自民党総裁選挙では、妻の高市早苗が女性初の自民党総裁に選出された。山本も自身の妻を女性初の首相にするべく県内の長年の支持者に連絡し、高市への支持を要請していたといい、総裁選後福井新聞の取材に対し「少数与党の大変な時期に火中の栗を拾う形だが、本人も覚悟の上で一つ一つ結果を出していくつもりだ」と妻の思いを代弁した[26]。
日本初の「首相の夫」
同年、妻の高市早苗が女性初の内閣総理大臣に就任した。山本は目立たず『ステルス旦那』として支えたいと取材に語った[27]。
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その他
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所属団体・議員連盟
選挙歴
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脚注
外部リンク
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