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岡田翔平
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
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岡田 翔平(おかだ しょうへい、1989年4月29日 - )は、神奈川県[3]出身のプロサッカー選手。ポジションはフォワード。
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来歴
10歳の時にサッカーを始め[1]、長島裕明に勧誘されたことをきっかけにFC東京の下部組織に入団[3]。 同期には大竹洋平、椋原健太、廣永遼太郎、井澤惇、丸山祐市、田中奏一、宮阪政樹、田端信成、加藤淳也などがいた。2007年のJユースサハラカップの決勝戦では自身の2得点でチームを優勝に導いた。
2008年、鹿屋体育大学に進学するとサッカー部監督の井上尚武から「得点に貪欲で攻守の切り替えもうまい」と評価を受けて[5] 重用され、九州大学リーグで得点を量産。2009年には得点ランキング3位に入り[注 1]、翌2010年には22得点を挙げ得点王となった[7]。2011年は鳥栖と併行(後述)しながらも、チームの得点源[注 2]としてリーグ優勝に貢献。最優秀選手に選出された。九州大学リーグ通算得点50得点は歴代最多。
2011年、特別指定選手としてサガン鳥栖に登録[2][9]。鳥栖の牛島真諭スカウトからは「駆け引きができ、がむしゃらにゴールをめざすFW」[10] と評価され、第8節横浜FC戦で初出場。2012年より正式に鳥栖へ加入[11]。Jリーグヤマザキナビスコカップ・グループリーグ第1節の川崎戦で先制点を挙げ、鳥栖のJ1クラブとしての公式戦初勝利に貢献[12]。
鳥栖ではサイドハーフでの起用が続いており、このポジションでは特徴を発揮できないと悩んでいたところ、湘南ベルマーレのチョウ・キジェ監督から「やりたい場所、そこじゃないだろ」と声を掛けられ[13]、2014年に同クラブへ期限付き移籍[14][15]。湘南ではシャドーストライカーとしてポジション争いに臨み[16]、得点量産に成功した。
2015年2ndステージから鳥栖に復帰[17][18]。2016年は2トップの採用によってFWでの出場機会を掴み[19]開幕節アビスパ福岡とのダービーマッチではJ1における1年9ヶ月ぶりの得点を挙げた。
2020年12月22日、契約満了による退団が発表された[21]。
2021年1月22日、南葛SCへの加入が発表された[22]。
2024年2月3日、神奈川県社会人サッカーリーグ1部に所属しているYOKOHAMA FIFTY CLUBへの移籍が発表された[23]
2025年2月16日、退団を発表[24]
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所属クラブ
- ユース経歴
- 1999年 - 2001年 国本小SC[3] (国本小学校)[2]
- 2002年 - 2004年 FC東京U-15 (多摩大学附属聖ヶ丘中学校 / 川崎市立白鳥中学校)
- 2005年 - 2007年 FC東京U-18 (神奈川県立麻生総合高等学校[4])
- 2008年 - 2011年 鹿屋体育大学
- プロ経歴
個人成績
- 2011年は特別指定選手
- J2リーグ初出場 - 2011年4月23日 J2第8節 vs 横浜FC (ニッパ球)
- J1リーグ初出場 - 2012年3月10日 J1第1節 vs セレッソ大阪 (ベストアメニティスタジアム)
- 公式戦初得点[注 3] - 2012年3月20日 Jリーグヤマザキナビスコカップ グループリーグ第1節 vs 川崎フロンターレ (ベストアメニティスタジアム)
- J1リーグ初得点 - 2013年5月18日 J1第12節 vs 浦和レッドダイヤモンズ (埼玉スタジアム2002)
- J2リーグ初得点 - 2014年4月20日 J2第8節 vs 大分トリニータ (Shonan BMW スタジアム平塚)
タイトル
クラブ
- 日本クラブユースサッカー選手権 (U-15)大会 (2003年)
- Jリーグユース選手権大会 (2007年)
- KSLカップ (国民体育大会成年男子予選会) (2009年、2011年)
- 国民体育大会サッカー競技成年男子 (2011年)
- 鹿児島県サッカー選手権大会 (天皇杯鹿児島県代表決定戦) (2009年、2010年)
- 九州大学サッカーリーグ (2011年)
- Jリーグ ディビジョン2 (2014年)
個人
- デンソーチャレンジカップ 優秀選手 (2010年[25])
- 九州大学サッカーリーグ
選抜歴
- 2009年 九州大学選抜
- 2010年 全日本大学選抜
- 2010年 九州大学選抜
脚注
関連項目
外部リンク
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