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岡部将和

日本のサッカー選手 ウィキペディアから

岡部将和
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岡部 将和(おかべ まさかず、1983年8月1日 - )は、神奈川県横浜市出身の元フットサル選手。職業はドリブルデザイナー[1]

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来歴

要約
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サッカー時代

神奈川県横浜市生まれ。兄の影響で5歳からサッカーをはじめ、幼少期からプロサッカー選手を目指す。小学1年生よりあざみ野FCに所属し、15期生として第20回全日本少年サッカー大会神奈川県大会初優勝[2]に貢献。神奈川県選抜にも選ばれた。

中学校入学と同時に横浜マリノスジュニアユースに所属。入団当初から上の学年に交じってプレーしていたが、身体も小さく足も遅かったため、主に藤本淳吾栗原勇蔵らにパスを供給する役割を担っていた[3]。フィジカル重視のチーム方針もあって出場機会は減り、最終的にはチームを離れることとなった[4]

高校では神奈川県立荏田高等学校サッカー部に所属。県ではベスト8程度の実力で、また小柄な体格にも悩まされた。そこで勝つためには何人もの選手を抜くドリブルが必要だと感じ、その頃から得意なドリブルに磨きをかけていくようになった[5]。さらに、プロのスカウトの目に留まるためにもドリブルで敵を抜くことがベストであると考え、ドリブル技術を徹底的に研究した[6][1]

そして、桐蔭横浜大学ではサッカー部に所属し、5期生[7]キャプテンとして神奈川県1部リーグ優勝、神奈川県知事杯優勝、神奈川県選抜にも選ばれた。

フットサル時代

先輩の助言により、大学卒業後はフットサルへの転向を決めた[8]。バルドラール浦安セグンドを経て、2007年、バルドラール浦安フットボールサラに入団、Fリーガーとなった[9]

初年度は日本フットサルリーグで2位を経験し、2008年、第13回JFA 全日本フットサル選手権大会において全国優勝。同年、単身でスペインに渡り、フットサル2部リーグであるLaguna Playas de Salouで経験を積んだ[10]

その後、湘南ベルマーレフットサルクラブに活躍の場を移し、第15回JFA 全日本フットサル選手権大会では準優勝の成績を収めた[11]。そして、2009-10シーズン終了後、Fリーグでの現役を引退した。

引退後


2010年10月に「Make Smile Project[12]」を始動させ、幼稚園や小中高サッカー部、少年サッカーチーム、街のイベントなどでフットサル教室を開催し、フットサルの普及活動に従事した。その後、指導者としてコーチや監督などを兼任し、全国各地で開催されるドリブルクリニックをメインに活動。日本47都道府県それぞれの会場に足を運び、2017年9月にはドリブルクリニック日本一周を達成した。

さらに、動画投稿サイトやSNSで「99%抜けるドリブル」といった独自のドリブル理論を配信していくと、それらが話題を呼び、総動画閲覧数は1億回を超えた[13][14]

2018年6月にはドリブルをより言語化し可視化することを目的にウェブサービスNoteにおいてドリブル理論を配信。同年11月より、ドリブル理論英語版をスタートさせた[15]

2019年4月、自身初の著書『ドリブルデザイン 日本サッカーを変える「99パーセント抜けるドリブル理論」』を出版[16]。2020年5月、ミズノブランドアンバサダー契約を締結した[17]

2022年12月には、電子楽器ブランドのKORGとの共同開発により、ドリブル技術とリズム感を同時に上達させることが可能なトレーニングアイテム、スポーツトレーニング用メトロノーム「DM-1」を発表[18]

これまで前例のなかった「ドリブルデザイナー」として、日本そして世界での活躍の場を広げている。[19]

2024年2月現在、スペイントップリーグのリーガ・エスパニョーラに所属するレアル・ソシエダの胸スポンサーを行っている「株式会社ヤスダグループ」において取締役 CWOとしてクレジットされている。[20]

アカデミー設立

「バロンドールを獲る選手をサポートする」という目標を掲げ、2021年9月よりオランダへ移住[21]。その後、スペインに拠点を移した[22]

そこで2022年5月「日本から本気で世界で活躍したい」と考えている子供たちをサポートするために、スペインのマドリード州にてDDインターナショナルフットボールアカデミーを開校した[23]

2022年より、アトレティコ・マドリードがメインパートナーを務める国際サッカートーナメントMAD CUPの大会アジアアンバサダーに就任[24]。さらには、レアル・マドリードアトレティコ・マドリードなどのラ・リーガを代表とするチームの下部組織も参加するDD CUPを主催するなど、さらなる活躍の場を広げている[25]

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ドリブルデザイナーとは

サッカーやフットサルにおける「ドリブル」を言葉で理論的に説明しながら、一人ひとりのプレースタイルや特徴に合ったドリブルをデザインしていく職業の事である[1]

岡部自身は「十人十色のドリブルに一緒に色をつけるという意味で、ドリブルデザイナーという名前を考えた」と言及している[26]

パーソナルトレーニングを受けた主な選手一覧(五十音順)

  • サッカー選手

荒木大吾乾貴士イルファン・バフディムヴィニシウス・ジュニオール宇佐美貴史梅崎司大友慧奥川雅也ガイ・アスリン金子翔太小林祐希齋藤学田中達也 (1992年生のサッカー選手)堂安律長友佑都長谷川竜也原口元気村上範和森岡亮太山田大記Ulysses Llanez

  • 女子サッカー選手

岩渕真奈植木理子大野忍田中陽子中里優籾木結花

  • フットサル選手

荒牧太郎完山徹一高橋健介中井健介中島孝深津孝祐星翔太皆本晃

  • 女子フットサル選手

中島詩織吉林千景

ドリブルディスカッション一覧(対談・交流)

  • サッカー選手

パブロ・アイマールジュリオ・バチスタホアキン・サンチェスディエゴ・ライネス中西哲生鈴木啓太戸田和幸渡邉千真工藤壮人藤本淳吾宮市亮伊藤達哉

  • 著名人・アスリートなど

藤巻亮太常田慎太郎GAKU-MCKEIGO亀田和毅田村敦、AKB48(向井地美音大家志津香)、ジェイミードワイヤーリーチマイケル大原孝治ラファエル (YouTuber)HAN-KUN櫻井翔

  • 団体

フウガドールすみだ、フェンシング日本代表(2018)、ソニーHC BRAVIA Ladies東芝ブレイブルーパス [27][28][29][30][31][32][33]

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人物、エピソード

  • お笑い芸人であるピーチかたつむり)は実の兄である[34]
  • 自らのドリブルテクニックを肉食動物から逃げる草食動物の姿をイメージして「カモシカ理論」と呼んだ[35]
  • ジーコロナウジーニョなどの海外選手も岡部のドリブル技術を賞賛し、本田圭佑は「凄いじゃないですか。僕はこういうの教えられないんで。」とその指導技術の高さを絶賛した[1]
  • 座右の銘は「チャレンジする心」[36]
  • ドリブルクリニックの最後には「抜くまで帰れません」という岡部自身が参加者全員をドリブルで抜く企画があった[37]
  • ネイマールエドガー・ダーヴィッツなどの選手らと共演をしている[38]
  • 元イタリア代表マルコ・マテラッツィのリーチ(立っている位置から最大限に足を伸ばせる長さ)をメジャーで計測させてもらった。ちなみにその長さは180cmであった[39]
  • 桐蔭横浜大学サッカー部では、当時監督であった風間八宏のもとでサッカー理論を学んだ[40]
  • の「Turning Up」に組み込まれているダンスステップから「櫻井ステップ」を発案。そのドリブルステップを櫻井本人に指導した[41]。具体的には軸足を強く踏み込んだ後に、利き足(弱)軸足(中)の強さで素早く踏み込み、最後に利き足でボールを押し出すといった一連のドリブルステップ(タップカットイン)のことである。
  • 自らを「努力して、技術を身につけてきたタイプ」と評している[42]
  • 憧れの選手は、パブロ・アイマールである[43]

所属クラブ

サッカー歴
  • 1990年 - 1996年 あざみ野FC
  • 1996年 - 1999年 横浜マリノスジュニアユース
フットサル歴
  • 2006年 - 2007年 日本の旗 PREDATOR URAYASU FC SEGUNDO

タイトル

出演

テレビ番組

ラジオ番組

ドキュメンタリー番組

  • Grow with 夢への軌跡(2021年4月26日公開)

CM

  • Indeed 『サッカー好きだけでつくるCM』(2018年)ドリブル&シュートシーン担当
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関連情報

書籍

DVD

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脚注

外部リンク

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