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廉京燁

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廉 京燁(ヨム・ギョンヨプ、朝鮮語: 염경엽1968年3月29日 - )は、大韓民国全羅南道光州市(現・光州広域市)出身の元プロ野球選手、プロ野球指導者、野球解説者。2023年より、KBOリーグに所属するLGツインズの監督を務める。

概要 LGツインズ 監督 #85, 基本情報 ...
概要 ヨム・ギョンヨプ, 各種表記 ...
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経歴

要約
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1991年、ドラフト2次1位指名を受けて太平洋ドルフィンズに入団。

守備は良かったものの、1995年9月5日から1997年8月23日までKBOリーグ記録の51打席連続無安打[1]、通算本塁打が5本と打撃に課題があった。

2000年韓国シリーズにて優勝した後、現役を引退した。

現役引退後、2006年まで現代のスカウトを務めた後、2007年に現代の守備コーチに就任。現代在籍時の2003年には、沈正洙により有名となった顔面保護用ヘルメット、通称「剣闘士ヘルメット(검투사 헬멧)」を提案した[2]

同年限りで現代が解散となったため、2008年LGツインズに移籍し、再びスカウトとなった。

2009年はLGの運用チーム長に配置換えとなる。2010年は再び現場に戻り、2年間守備コーチを務め、退団。

2011年オフにネクセン・ヒーローズに移籍し[3]、作戦・走塁コーチに就任。

2012年シーズン、チーム別盗塁数が1位になった功労により、同年10月10日、3年総額8億ウォンという契約条件でネクセン・ヒーローズの第3代監督に就任した。

2013年、監督就任初年度にチームの創立初のポストシーズン進出を導いた[4]

2014年にチーム創立以来初となる韓国シリーズに進出。しかし、三星ライオンズ相手にに2勝4敗という結果となり、準優勝に終わる。同年オフ、契約期間が1年残りながら、3年総額14億ウォンの再契約をした。

2015年は、3年連続でポストシーズン進出に成功したが、準プレーオフで斗山ベアーズに1勝3敗となり、4位に終わった。

2016年は、チームの主軸選手がFA、ケガなどで欠いたことから、下位と予想されたが、若手選手の活躍と中堅選手のリーダーシップで予想を覆し、4年連続ポストシーズン進出という結果となる。しかし準プレーオフで1勝3敗で敗退した後に監督を辞任した。

2017年1月17日SKワイバーンズの団長(GM)に就任した[5]。監督辞任直後のシーズンで他球団の役職に就任するのは異例であった。

2018年11月13日に、SKの監督に就任。3年ぶりに監督に復帰した[6]

2020年6月25日斗山ベアーズ戦の2回表にベンチで突然失神し緊急搬送された[7]。2か月以上の休養を終え同年9月1日LGツインズ戦より復帰した。休養中、SKでは朴勍完が監督代行を務めた。だが9月6日に再び療養のため離脱し、9月8日に2020年シーズンの残り試合は朴勍完が再び代行を務めることが発表された[8][9]。同年10月30日、契約期間を1年残して辞任した[10]

2021年、2月からサンディエゴ・パドレスにてコーチ研修を受けて[11]、5月に帰国した。帰国後に、キウム・ヒーローズの監督も務めた孫奕とともに、韓国野球委員会にて指導者育成委員に就任した[12]

2022年2022年アジア競技大会の野球競技において韓国代表チームの技術委員長に就任したほか[13]、韓国でKBS Nスポーツ朝鮮語版の野球解説委員となった。

2022年11月6日にLGツインズの監督に就任した[14]

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詳細情報

年度別打撃成績

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年度別監督成績

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  1. ポストシーズン4位
  2. ポストシーズン3位
  3. ポストシーズン3位

背番号

  • 17 (1991年 - 1992年)
  • 1 (1993年)
  • 5 (1994年 - 1995年、1998年 - 2000年)
  • 12 (1996年 - 1997年)
  • 75 (2007年)
  • 70 (2010年 - 2011年)
  • 85 (2012年 - 2016年、2019年 - 2020年、2023年 - )
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脚注

関連項目

外部リンク

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