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李學周
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李 學周(イ・ハクジュ、朝: 이학주、1990年11月4日 - )は、大韓民国・済州特別自治道済州市出身のプロ野球選手(内野手)。
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経歴
要約
視点
アマチュア時代
大韓民国・済州市で生まれる。小学校時代は野球ではなくサッカーをプレーしていた。野球を始めたのは12歳の時で、野球チームのコーチから「試しに1週間だけ野球をやってみてくれないか」と頼まれたのがきっかけだった。沖岩高等学校では走攻守揃った大型遊撃手として注目を集めた。肩が強く、投手の経験もある[1]。
カブス傘下時代
2009年2月に沖岩高校を卒業して渡米し、シカゴ・カブスと契約。契約金は115万ドルだった[2]。入団後はトミー・ジョン手術のリハビリに専念した。復帰後、傘下のA-級ボイシ・ホークスでデビューし、68試合で打率.330、25盗塁を記録した。

2010年はA級ピオリア・チーフスで初のフルシーズンを過ごし、打率.282、32盗塁の成績を残す[2]。オフには、「ベースボール・アメリカ」誌の有望株ランキングにおいて、球団内4位、マイナー全体では92位の評価を受けた[3]。
レイズ傘下時代
2011年1月8日、マット・ガーザを中心とした大型トレードで、サム・ファルドら4選手と共にタンパベイ・レイズに移籍した[4]。この年はA+級シャーロット・ストーンクラブスでスタートし、97試合で打率.318、OPS.832、4本塁打、28盗塁の成績を残してAA級モンゴメリー・ビスケッツへ昇格。しかし、AA級モンゴメリーではBABIPが.228と極端に低下したこともあり、24試合で打率.190・1本塁打と振るわなかった。オフには、レイズ傘下A+級で最優秀選手に選ばれる[5]。「ベースボール・アメリカ」誌からはレイズ内でマット・ムーアに次ぐ第2位の有望株に選ばれた[6]。
2012年はAA級モンゴメリーでレギュラーとして116試合に出場、打率.261、4本塁打、37打点、37盗塁と活躍し、オフの11月20日にメジャー契約を結び40人枠入りした[7]。

2013年はAAA級ダーラム・ブルズに所属していたが、4月に膝を故障してシーズンを終えた。
2015年9月1日にDFAとなり[7]、4日に40人枠を外れる形でAAA級ダーラムに配属された[7]。オフの11月7日にFAとなった[7]。
ジャイアンツ傘下時代
2015年11月18日にサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結び、翌年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[7]。
徳島時代
2017年3月1日、日本の独立リーグである四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックスに入団することが発表された[8]。前期終了時点で打率はリーグ2位の成績であったが[9]、前期終了後の7月25日付で退団(任意引退)が発表された[10]。
三星時代
2018年9月10日、韓国プロ野球新人ドラフト2次指名で三星ライオンズから指名され、10月に契約した。
ロッテ時代
2022年1月24日、崔ハヌル及び2023年新人ドラフト3巡目指名権とのトレードでロッテ・ジャイアンツに移籍した[11]。
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プレースタイル
巧みなバットコントロールと脚力が売りで「韓国のホセ・レイエス」とも称される遊撃手。2011年シーズン終了後には、「ベースボール・アメリカ」誌からレイズ傘下で「最も速いベースランナー」、「最も守備の良い内野手」に選ばれた[6]。
詳細情報
年度別打撃成績
独立リーグでの打撃成績
以下の数値は四国アイランドリーグplusウェブサイト掲載の選手成績による[13]。
背番号
- 24(2017年)
- 53(2019年 - 2021年)
- 6(2022年)
- 7(2023年 - 2024年)
脚注
関連項目
外部リンク
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