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李恵践
韓国の野球選手 ウィキペディアから
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李 惠踐(イ・ヘチョン、韓国語:이혜천、1979年3月12日 - )は、大韓民国の釜山広域市出身の元プロ野球選手(投手)。左投げ左打ち。
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経歴
第一次斗山時代
1998年の2次ドラフト2位で韓国・OBベアーズ(現:斗山ベアーズ)に入団。2年目よりチームの中継ぎの柱として活躍。2006年には2006WBC韓国代表の予備エントリーメンバーに登録された。同年ドーハアジア大会の韓国代表に選ばれたが、銅メダルとなり兵役免除の恩恵は受けられなかった。
2007年シーズンは兵役に行くことが予定され、選手登録から外され公式戦には1試合にも登板しなかったが、持病の腰痛により結局軍には入隊しなかった。10月に日本でのフェニックスリーグで好投し、韓国シリーズではリリーフで登板した。
2008年オフにFA権を行使し、日本プロ野球へ移籍を図る。11月に東京ヤクルトスワローズと2年契約を結んだ[1]。
日本時代
左の先発候補として春季キャンプから高田繁監督から大いに期待されていたが、オープン戦5試合に先発し1勝3敗、防御率6.95と不安定な投球を続けると、開幕直前の3月31日には右ひじ軟骨挫傷により戦線を離脱した。5月4日の広島東洋カープ戦で初登板初先発を果たした。8月2日の中日ドラゴンズ戦では森野将彦に対し右脇腹付近に死球を与えたが、謝罪をしなかったため乱闘騒ぎとなった[2]。左のワンポイントとして、42試合に登板し防御率3.65の成績を残した。被安打や与四球が多い事が課題である。
2010年11月15日、球団側から3年目以降の契約オファーされず、ヤクルトを退団した。
第二次斗山時代
2010年12月8日、古巣の韓国・斗山への復帰が決まった。背番号は斗山で以前つけていた59ではなく、ヤクルト時代につけていた49となった。
2011年は先発としてもリリーフとしても活躍できずたった1勝に終わり、試合前の練習中のケガで8月上旬2軍へ降格すると、シーズン中に1軍へ復帰することはなかった。
2012年より背番号を59に戻したが、成績は向上せずまたも1勝止まりだった。
NC時代
2014年、NCでは斗山在籍時と同じく左の中継ぎで起用された。
2015年シーズン終了後、NCを戦力外となり、オーストラリアン・ベースボールリーグのアデレード・バイトと契約した。
豪州時代
2018年に現役を引退した。なお豪州には親戚がいると語っている[3]。
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詳細情報
年度別投手成績
- OB(OBベアーズ)は、1999年に斗山(斗山ベアーズ)に球団名を変更
記録
- NPB
- 初登板・初先発:2009年5月4日、対広島東洋カープ6回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、2回1/3を5安打2失点
- 初奪三振:同上、1回裏に天谷宗一郎から空振り三振
- 初ホールド:2009年7月1日、対横浜ベイスターズ7回戦(山梨県小瀬スポーツ公園野球場)、5回裏に3番手で救援登板、1回無失点
- 初勝利:2009年8月11日、対横浜ベイスターズ11回戦(明治神宮野球場)、11回表に5番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初セーブ:2009年10月12日、対読売ジャイアンツ24回戦(明治神宮野球場)、9回表に4番手で救援登板・完了、1回無失点
背番号
- 55 (1998年)
- 59 (1999年 - 2008年、2012年 - 2015年)
- 49 (2009年 - 2011年)
- 26 (2016年 - 2017年)
- 46 (2017年 - 2018年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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