トップQs
タイムライン
チャット
視点
標茶駅
北海道川上郡標茶町にある北海道旅客鉄道の駅 ウィキペディアから
Remove ads
標茶駅(しべちゃえき)は、北海道川上郡標茶町旭1丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)釧網本線の駅である。駅番号はB61。
Remove ads
歴史

- 1927年(昭和2年)9月15日:鉄道省釧網本線釧路駅[注 1] - 当駅間開業に伴い開業(一般駅)[6]。浜釧路機関庫標茶駐泊所設置[7]。
- 1929年(昭和4年)8月15日:当駅 - 弟子屈間延伸開業[7][8]。
- 1936年(昭和11年)10月29日:鉄道省計根別線当駅 - 計根別駅間開通[2]。
- 1937年(昭和12年)10月30日:計根別線が計根別駅 - 中標津駅 - 根室標津駅間の延伸に伴い、標津線(初代、厚床駅 - 中標津駅間)を編入し、標津線(2代)に改称[9][10]。
- 1937年(昭和12年)10月30日:標茶駐泊所が釧路機関区標茶支区となる[11]。
- 1938年(昭和13年)6月22日:簡易軌道知安別線が開業し、標茶駅の東側に停留所が設けられる。
- 1942年(昭和17年)2月26日:簡易軌道知安別線が廃止される。
- 1958年(昭和33年)10月1日:釧路機関区標茶支区を廃止[12]。
- 1961年(昭和36年):標茶町営軌道が標茶駅前まで延伸され、駅の西側に停留所が設けられる。
- 1969年(昭和44年)2月1日:標茶機関区設置[13]。
- 1971年(昭和46年)8月14日:標茶町営軌道が廃止される。
- 1974年(昭和49年)12月10日:駅舎改築[14]。
- 1983年(昭和58年)5月20日:貨物取扱い廃止[15]。
- 1984年(昭和59年)2月1日:荷物取扱い廃止[16]。標茶機関区が釧路機関区標茶駐泊所となる[16]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化によりJR北海道に継承[2]。
- 1989年(平成元年)4月30日:標津線廃止[17]。
- 1997年(平成9年)10月1日:業務委託化[18]。ジェイ・アール道東トラベルサービスが受託。
- 1999年(平成11年)12月22日:駅内リニューアル[19]。
- 2017年(平成29年)2月1日:受託会社が北海道ジェイ・アール・サービスネットに変更。
駅名の由来
→「標茶町 § 町名の由来」も参照
Remove ads
駅構造
単式ホーム・島式ホーム複合型2面3線の地上駅。ただし、3番のりばは定期列車の発着が無く使用されていない。 かつては副本線や貨物ホーム、多くの側線を有していた[20]。ホーム間の移動は跨線橋で連絡している。
摩周駅管理の業務委託駅(北海道ジェイ・アール・サービスネット委託)[3]。みどりの窓口設置[4]。
かつて2・3番のりばから標津線中標津・根室標津方面の列車が発着しており、3番のりば(旧4番線)は標津線の本線として使用されていた[20]。そのホーム上には、標津線の接続駅の証となっているSLの形をした木製のオブジェが現在も残っている[21]。
なお、当駅には「そば処 霧亭」(本店は釧路駅)の分店があったこともある[22] 。
のりば
- 改札口と券売機(2021年5月)
- 駅舎内部(2021年5月)
- ホーム(2014年7月)
- 跨線橋(2021年5月)
- 駅名標(2018年2月)
Remove ads
利用状況
要約
視点
乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。
駅周辺
標茶町市街地が広がる。駅から10 kmほどのところに多和平がある。
バス路線
駅前の標茶町バスターミナルより、標茶町有バス(町内各方面)が運行される。
阿寒バスの標津線廃止代行バス(中標津・標津方面)は2025年3月31日をもって当駅 - 西春別間が廃止された[23]。またかつてはJR北海道バス[注 2]が厚岸線・釧根線(厚岸駅 - 標茶駅 - 虹別・尾岱沼間)を運行していた。
隣の駅
かつて存在した路線
- 北海道旅客鉄道(JR北海道)
- 標津線(1989年廃止)
- 標茶駅 - 多和駅
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads