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橋上秀樹
日本の元プロ野球選手、野球指導者 (1965-) ウィキペディアから
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橋上 秀樹(はしがみ ひでき、1965年11月4日 - )は、千葉県船橋市出身の元プロ野球選手(外野手・捕手、右投右打)、プロ野球コーチ、YouTuber。
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経歴
要約
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現役時代
安田学園高校から1983年のドラフト3位でヤクルトスワローズに捕手として入団。後に外野手へ転向し、主に守備固めや代打のほか、左投手の時にはスタメンや代打で登場することが多かった[1]。
1992年には自己最多の107試合に出場し、西武との日本シリーズでも8打数5安打1本塁打とジョニー・パリデスと共にラッキーボーイ的存在になり活躍した。
1993年以降も主に控えではあったが、右の代打として活躍。
1996年オフに金銭トレードで日本ハムファイターズへ移籍。
1999年は不振に終わり、同年オフに戦力外通告を受ける。ヤクルト時代の恩師で、前年のシーズンオフに監督に就任していた野村克也に請われる形で、10月22日に阪神タイガースへ移籍。
2000年は一軍へ上がれず、9月23日に戦力外通告を受け、現役を引退。
引退後

(2015年 東京ドーム)
引退後は現役時代から副業で営んでいたゴルフショップ「ゴルファーズマート甲子園」の経営に勤しみつつ[2]、東京ドームの日本ハム戦中継の解説者も務めていた。
2005年には、既に入団していた松井優典に請われる形で、二軍外野守備・走塁コーチに就任。新規参入した東北楽天ゴールデンイーグルスが野村の監督招聘を計画していたため、野村の野球理論を理解しているコーチを招聘していたものであった。シーズン途中から一軍外野守備・走塁コーチ。
2007年からは野村の下でヘッドコーチに昇格。
2009年シーズンには、野村の退任と同時に楽天を解雇[3]。野村は著書の中で打者分析や相手投手のクセの把握、戦術選択など意見交換できたし、よく支えてくれたと記している[4]。
楽天ヘッドコーチ退任後は日刊ゲンダイで「ヘッドコーチだけが知っている野村楽天の真実」というコラムを連載し、評論家として活動。
2010年にはスカイ・エー解説者を務めた。2010年10月27日に、ベースボール・チャレンジ・リーグの新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ監督に就任。
2011年にはチーム史上初となるリーグチャンピオンシップに導いたが、同年限りで退団[5]。
同年11月1日、読売ジャイアンツ一軍戦略コーチに就任。清武英利ゼネラルマネージャーの肝煎りで設立された戦略室の中心となる[6]。2012年は、狙い球を絞っての見逃し三振を容認することで四球を増やし、チームの出塁率を改善させた。日本ハムとの日本シリーズではコーチ登録を外れ、代わりに川相昌弘二軍監督がコーチ登録されてベンチに入った。
11月5日には野球日本代表の戦略コーチを務めることが発表された[7]。11月13日に、背番号が「75」となったことが発表された[8]。
2014年より一軍打撃コーチに転任して3連覇に貢献したが、同年のCSファイナルステージ敗退後の10月19日に球団へ退団を申し入れ了承された[9]。
10月29日、楽天の一軍ヘッドコーチに復帰することが発表された[10]。貧打解消のための参謀役として期待されたが[11]、2015年、前年のチーム打率.255、549得点がチーム打率.241、463得点、440打点と全て12球団リーグ最下位に低迷し[12][13]、順位も最下位に低迷し、シーズン最終戦終了後、翌10月7日に退団[14]。
2015年10月13日に2016年から西武の一軍作戦コーチに就任することが発表された[15]。同年は打順や作戦面を担当、8月に入り「チマチマ1点取っても投手が持ちこたえられない」とバントや小技などの作戦を度外視し、打ちまくる方針に転換すると、勝ち始めるという、皮肉な結果になった[16]。
2017年からは、一軍野手総合コーチに就任することになった。
2018年は、一軍作戦コーチに肩書が変わる。2018年CSファイナルステージ敗退後の10月21日に退団が発表された。
2018年10月30日、2019年シーズンから東京ヤクルトスワローズの二軍チーフコーチに就任することが発表された[17]。1996年以来23年ぶりの古巣復帰となる。2019年9月29日に退団が発表された[18]。11月30日、以前監督を務めた新潟アルビレックス・ベースボール・クラブが、非常勤のチーム強化アドバイザー兼総合コーチとして橋上が就任することを発表した[19]。また、野球解説者としても活動する[要出典]。
2020年12月24日、10年ぶりに新潟の監督に復帰することが発表された[20]。復帰2年目のシーズン中となる2022年5月28日、胆嚢炎の治療を理由に監督を休養することが発表された(投手コーチの野間口貴彦が監督代行に就任)[21]。6月2日、翌3日の練習から監督に復帰すると発表された[22]。新潟がイースタン・リーグに移り、球団名が「オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ」となった2024年も指揮を執ったが、同年シーズン終了後の10月22日に監督を退任することが発表された[23]。
10月28日、2025年より巨人の作戦戦略コーチに就任することが発表され、11年ぶりに復帰することとなった[24]。背番号は75[25]。開幕前の3月4日にスコアラー兼任となる[26][注 1]。
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詳細情報
年度別打撃成績
記録
背番号
- 31(1984年 - 1992年)
- 7(1993年 - 1996年)
- 28(1997年 - 1999年)
- 48(2000年)
- 78(2005年 - 2009年、2011年、2015年、2019年)
- 73(2012年 - 2014年、2016年 - 2018年、2020年 - 2024年)
- 75(2025年 - )
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関連情報
著書
- 『野村の「監督ミーティング」~選手を変える、組織を伸ばす「野村克也の教え」~』(2010年5月28日、日本文芸社)
- 『野村の授業 人生を変える「監督ミーティング」弱小集団を変えた育成術、組織論、人生法則(2010年11月30日、日本文芸社)
- 『そのとき野村が考えていたこと 野村克也の野球論、人材育成・組織術』(2011年2月5日、洋泉社)
- 『野村克也に挑んだ13人のサムライたち』(2011年4月20日、双葉社)
- 『一流になるヤツ、二流で終わるヤツ - しのぎを削る野球界で見た「伸びるヤツ」の条件』(2012年5月1日、日本文芸社)
- 『参謀論: プロ野球最強コーチの「組織と人を動かす」言葉』(2019年3月26日、徳間書店)
- 『常勝チームを作る「最強ミーティング」 プロ野球監督に仕える「参謀」の役割』(2020年5月28日、カンゼン)
- 『阿部慎之助の野球道』(2020年9月29日、徳間書店) - ※阿部慎之助との共著。
脚注
関連項目
外部リンク
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