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王溢正

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王溢正
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王 溢正(ワン・イージェン[2]1985年10月9日 - )は、台湾中華民国)の屏東県出身の元プロ野球選手投手)。左投左打。

概要 基本情報, 国籍 ...
概要 王 溢正, 各種表記 ...
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経歴

要約
視点

プロ入り前

小学校4年の時に野球を始める。中国文化大学時代には斎藤佑樹横浜ベイスターズでチームメイトになる松本啓二朗細山田武史らが所属していた早稲田大学との親善試合に登板して2回を無失点に抑えている。その後、2008年CPBLのドラフトでLa Newベアーズから2位指名を受け入団、代訓選手(日本の育成選手に近い制度)として所属した。アジア野球選手権大会IBAFワールドカップチャイニーズタイペイ代表に選出され、代表チームのコーチである郭泰源から日本野球のアドバイスを受けた。

横浜時代

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横浜DeNAベイスターズ時代
(2012年4月1日、横須賀スタジアムにて)

2009年秋に横浜ベイスターズの秋季キャンプに練習生として参加。そこでの実力が評価され、同年12月5日に入団が決まった。球団史上初の台湾人選手でもあった。

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2010年11月20日
横須賀スタジアムにて

2010年は一度も一軍に昇格することはなかった。二軍では3先発を含める12試合に登板したが、0勝2敗で防御率8.40に終わった。

2011年は7月下旬に10日間一軍にいたが、登板することなく、二軍落ち。二軍では登板数で佐藤祥万に次ぐチーム2位の35試合に登板するなどタフな一面を見せた。防御率は前年から大きく改善され、3.55だった。

2012年、ファームでチームトップに並ぶ6勝(4敗)の成績を残したことから6月6日に一軍昇格。同日行われた対ロッテ戦(QVCマリンフィールド)でプロ初登板を先発で飾った。しかし、4回1/3を3失点で敗戦投手となる。その後も先発として6試合に登板したが、不安定な投球が続いて勝利を挙げることができなかった。シーズン最後の登板となった9月30日の対中日戦では4回2/3を11失点(自責点10)と大乱調で翌日二軍降格。そのまま一軍に戻ることなく、シーズンを終えた。

2013年1月14日に、第3回WBC本戦のチャイニーズタイペイ代表メンバーが発表され[3]代表入りした[4]。同大会の日本代表にDeNAからは一人も選ばれておらず、同球団からの唯一のWBC代表選手となった。1次ラウンドでは登板はなかったが、2次ラウンドのキューバ戦(3月9日)で大会初登板。しかし、1アウトも取れずに3連打を浴びるなど6失点(自責点3)。チームも14対0で大敗し、2次ラウンドで敗退した。

その後、DeNAに合流したがオープン戦では1試合も登板せず、開幕は二軍スタートとなる。ファームでは2試合に登板したが、防御率5.40と不安定な成績で5月29日に契約解除が発表され[5]、6月4日に自由契約となった。

モンキーズ時代

2013年6月20日にLamigoモンキーズ(旧La Newベアーズ)に復帰。7月21日の兄弟エレファンツ戦でCPBL初登板果たし、7回途中3失点で敗戦投手となるが、8月11日の義大ライノズ戦で7回1失点でCPBL初勝利を挙げた。8月18日の統一ライオンズ戦では初完投・初完封勝利を挙げている。同年は8試合すべてに先発登板し、3勝2敗の成績を残した。

2015年は台湾人トップの11勝をするも、先発した22試合中10試合で5失点以上を喫した。

2016年1月29日に「侍ジャパン強化試合 日本 vs チャイニーズタイペイ」のチャイニーズタイペイ代表27名に選出されたことが発表された[6]。3月5日の第1戦に先発登板し、敗戦投手となっている[7]

2017年2月28日に侍ジャパンとの壮行試合でCPBL・台湾プロ選抜として先発を任されたものの、2回で被安打4として2失点。ただし、この試合は台湾プロ選抜が侍ジャパンに対し8-5で逆転したため勝利投手になっている[8]

2020年の4月は2試合投げ2勝0敗[9]、防御率1.29で、アリエル・ミランダと1票差で月間MVPに輝いた[10]。8月7日の中信兄弟戦でCPBL史上9人目となるCPBL通算150先発を達成した[11]。10月2日の統一ライオンズ戦で7回2失点とまとめ、台湾人最速となる2桁勝利を達成した[12]。しかし最終的には全体的に前年よりも成績を落とす形となった。

2021年から副キャプテンに就任した[13]。3月16日の統一ライオンズ戦で自身初となる開幕投手を務め、5回4失点で勝利投手となった[14]。台湾人選手が開幕投手を務めたのは、球団として12年ぶりであった[15]。同月23日の味全ドラゴンズ戦で5回7失点(自責点6)と炎上し、翌日に二軍へ降格した[16]。4月4日に一軍復帰し、同日の富邦ガーディアンズ戦と同月13日の統一ライオンズ戦で先発登板をするも振るわず[17]、その後は基本的に中継ぎでの登板のみとなった。

台鋼時代

2023年8月10日、トレードで台鋼ホークスに移籍することが発表された[18]

2024年オフに保留選手名簿から外れて退団が決まり、後に現役引退を発表した[19]

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選手としての特徴

スリークォーターの長身サウスポーで、最速148km/hのストレートとスライダーチェンジアップを持ち球とする。スタミナ不足[20]と制球難が課題。

詳細情報

年度別投手成績

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  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

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  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰

CPBL
  • 月間MVP:1回(投手部門:2020年4月)

記録

初記録
NPB
CPBL
その他の記録
CPBL

背番号

  • 17 (2009年)
  • 66 (2010年 - 2013年5月29日)
  • 32 (2013年6月20日 - 2024年)

代表歴

脚注

関連項目

外部リンク

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