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石川克彦
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石川 克彦(いしかわ かつひこ、1933年9月19日[1] - 2013年)は、愛知県丹羽郡扶桑町出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
経歴
岡崎高校ではエースとして活躍。1951年夏の甲子園県予選では準々決勝で時習館高に敗退、甲子園には出場できなかった。高校同期に小沢重光、1年下に井上登がおり、いずれもプロ野球で同僚となる。
1952年に名古屋ドラゴンズに入団。2年目の1953年には杉下茂に次ぐ先発投手として活躍。18勝4敗、防御率2.31(3位)の好成績を残し、勝率.818で最高勝率のタイトルを獲得。翌1954年は開幕投手として起用され21勝を記録、リーグ初優勝に貢献した[2]。西鉄との日本シリーズでは2試合に先発し1勝1敗、チーム日本一に力を添えた。
1955年にも17勝をあげ3年連続2桁勝利、防御率1.45(2位)を記録。2年連続で開幕投手となり5連続完投勝利も記録している。しかし、その後は故障もあって登板回数が減り、1959年限りで引退した[2]。
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詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高
- 名古屋(名古屋ドラゴンズ)は、1954年に中日(中日ドラゴンズ)に球団名を変更
タイトル
- 最高勝率:1回 (1953年)
背番号
- 35 (1952年)
- 11 (1953年 - 1959年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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