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祭主
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概要
古は令外官のひとつであったもので、神祇官に属し伊勢神宮の神官の長官であった。中央官であり、通常は都に居住して神宮関係の行政に従事した。
推古朝に中臣御食子(鎌足の父)が祭官となったのが初代とされ、天武朝に中臣意美麻呂が任じられた際に、祭官を改め祭主と称したという[1]。以降、明治以前までは、代々中臣氏(大中臣氏)、特に二門の者が任じられ[2]、神祇官次官である神祇大副あるいは神祇権大副が多く兼任した。
伊勢神宮の祈年祭・両月次祭・神嘗祭の4度の大祭に、奉幣使として参向し、祝詞を奏上して、天皇の意思を祭神に伝えることを主たる役目とする。式年遷宮に際しては、造神宮使・奉遷使を務めた。
伊勢神宮のほかにも同名の役職が置かれる場合があったが、それらとは明確に区別される。
近代
近代以降、社家の世襲が廃止されると、藤波家 (大中臣氏)の世襲は廃されて、華族をもって神宮祭主に任じた。のち皇族又は公爵をもって任じる親任官となり、勅令である神宮司庁官制で法制化された。
戦後は神道指令及び日本国憲法により、国家の手をはなれ、宗教法人としての神宮となってから、現在は宗教法人としての「規則」により、祭主は「勅旨を奉じて定める」こととされ、もっぱら女性の元皇族が就任している。
近代最初の皇族祭主が久邇宮朝彦親王(香淳皇后の祖父)であることから、その子孫が就任していることが多い。熱田神宮にも祭主を置く動きがあったが、実現しなかった。
戦後は皇族出身の女性が就任していることから斎宮と混同されることもあるが、斎宮は神宮に仕えた未婚の皇族女性のことで南北朝時代に廃絶した。
歴代祭主
世襲祭主時代
親任祭主時代
女性祭主時代
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脚注
関連項目
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