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能登国

令制国の一つ ウィキペディアから

能登国
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能登国(のとのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。北陸道に属する。現在の石川県北部にあたる。

概要 能登国, 別称 ...

沿革

成務朝能等国造が置かれ、次いで雄略朝羽咋国造が置かれたと伝えられる。養老2年(718年5月2日越前国から羽咋郡能登郡鳳至郡珠洲郡の四郡を分立して能登国が成立した[1]

天平13年(741年12月10日越中国に併合された[2][注釈 1]

天平勝宝8歳(757年)5月8日、越中国から再び分立した[3]

また、天元3年(980年)、『和名抄』の編纂で有名な源順が能登国守として赴任している。

能登郡の名称は後に鹿島郡へと改められた。

江戸時代には大部分が加賀藩領であったが、一部に幕府領(旗本領を含む)があった。また、一時的に譜代の小藩が設置されているが(能登下村藩能登西谷藩)、いずれも短期間で廃止されている。

寛文11年(1671年)5月4日、加賀藩は、羽喰郡を羽咋郡、鹿島郡を能登郡と改めた[4]

近代以降の沿革

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領域

明治維新の直前の領域は現在以下のようになっている。太字の自治体及び郡は全域が、通常体は一部が国土にあたる。

国内の施設

国府

源順の『和名抄』には「能登国国府在能登郡」とあり、現在の七尾市古府の総社の付近か府中町にあったと推定されている。発掘調査はまだなされていない。

国分寺・国分尼寺

国分僧寺は、新たに創建されたものではなく、飛鳥時代後期(700年頃)に創建された大興寺を承和10年(843年)12月1日に国分寺としたものである[6]。国分寺跡には建物の基壇や柱跡が表示され、南門と塀などが復元されている。

神社

延喜式内社
延喜式神名帳』には、大社1社1座・小社42社42座の計43社43座が記載されている。大社1社は以下に示すもので、名神大社である。能登国の式内社一覧を参照。
総社一宮以下
  • 総社 能登国総社 (能登国魂神社とも、七尾市古府) - 源順が能登守の時代、大穴持命を祀っていた神社に国内の有力神社43社の神を勧請・合祀し、現存する。
  • 一宮 気多大社
  • 二宮 伊須流岐比古神社または天日陰比咩神社

地域

国司

能登守

守護

鎌倉幕府

室町幕府

武家官位としての能登守

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脚注

参考文献

関連項目

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