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荒木絵里香

日本の女性バレーボール選手 ウィキペディアから

荒木絵里香
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荒木 絵里香(あらき えりか、現姓・四宮、1984年8月3日 - )は、日本の元女子バレーボール選手、スポーツ科学者学位修士スポーツ科学)(早稲田大学2023年[1]

概要 荒木 絵里香 Erika Araki, 基本情報 ...
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来歴

要約
視点

岡山県倉敷市出身。父親は早稲田大学ラグビー蹴球部のOB、母親は体育教師という体育会系の一家に生まれ育った。幼いころから、水泳クラブや陸上クラブに通い、体育は得意であった。小学校5年の時にバレーボールを始める(当時の身長は174cm[2])。中学時代にはアクエリアス杯の選抜メンバー、オリンピック有望選手に選出され、成徳学園高校(現・下北沢成徳高校)では、大山加奈らと共に、全国高等学校選抜優勝大会全国高等学校総合体育大会国民体育大会優勝の高校3冠を経験した。

2003年東レアローズに入団。入団1年目の第10回Vリーグでは、アタック決定率2位に入りベスト6を受賞した。同年全日本に初選出。2004年のヨーロッパ遠征には参加したが、アテネオリンピックの登録選手からは落選した。

2005年も代表メンバー入りするが、ワンポイントブロッカーとしての出場が主であった。2006年ワールドグランプリ初戦のキューバ戦にスタメン出場し、決定率90%の活躍を見せレギュラーを獲得。同年開催の世界選手権に出場した。2007年、アジア選手権で24年ぶりの優勝に大きく貢献した。2007年ワールドカップには全試合スタメン出場した。

2008年天皇杯・皇后杯全日本選手権優勝、2007/08Vプレミアリーグにおいて東レのリーグ初優勝に貢献し、最高殊勲選手賞・スパイク賞・ブロック賞・ベスト6賞を獲得した。アタック決定率54.7%は、2000年第6回Vリーグで先野久美子が記録した53.4%を抜いて日本記録(日本人最高)である。

2008年8月、北京オリンピックに出場し、ベストブロッカー賞を受賞した。

2008年9月、イタリアプロリーグ・セリエAベルガモへ1シーズンの期限付きで移籍。同年9月から翌年5月まで同チームでプレーした[3][4][5]。2009年10月、東レに復帰。2009/10Vプレミアリーグでは同チームの3連覇へ導き、同シーズンでスパイク賞とベスト6を受賞した。2010日韓トップマッチ、第59回全日本男女選抜大会で3冠を達成した。

2009年5月に招集された全日本代表チームでは主将となった(2013年5月からは木村沙織が主将[6])。2012/13シーズン限りで現役引退を決めていたが、眞鍋から熱心に勧誘され翻意したことを公表した[7])。2010年11月、世界選手権に出場し、銅メダルを獲得した。

2011年6月、モントルーバレーマスターズで初優勝を果たした。その後も全日本の中核として活躍し、怪我人が相次いだセンターポジションでスタメンを不動のものする。同年11月のワールドカップで4位へ導いた。また、平成23年度全日本選手権で優勝。2011/12Vプレミアリーグでも優勝し、同シーズンで4年ぶり2度目のMVPを受賞した[8]。ベスト6入りし、ブロック賞および栄誉賞(個人賞8回)も受賞した。

2012年6月、ロンドンオリンピックの代表メンバーに選出された。荒木自身は2大会連続出場となった[9]。主将としてチームを牽引し、全日本女子28年ぶりとなる銅メダル獲得に貢献した。

2013年、2012/13Vプレミアリーグでスパイク賞、ブロック賞、サーブ賞の個人タイトル3冠と敢闘賞、ベスト6賞を受賞した。同年6月18日、2012-13シーズン後に四宮洋平と入籍したことを東レの公式サイトで公表[10]

2013年10月3日、東レアローズ公式サイトにて翌春に出産予定であることを公表し、同年10月末にて東レを退社することを発表した[11]。2014年1月に女児を出産したことを公式ツイッターで発表[12]

2014年6月、Sports Graphic Number誌のインタビューに答え、現役復帰に意欲をみせ[13]、同月プレミアリーグに昇格した上尾メディックスで現役復帰を果たした[14]

復帰第一戦となった2014年11月16日のトヨタ車体戦に先発出場し、14得点(アタック7点、ブロック4点、サービスエース3点)をあげ、チームのプレミアリーグ初勝利に貢献した[15]

2015年1月11日の日立リヴァーレ戦に出場し、プレミアリーグ出場試合数が230となり、Vリーグ栄誉賞(長期活躍選手)の受賞資格を得た[16]。5月12日に全日本に復帰(追加登録)[17]。6月7日までに上尾メディックスを退団し[18]トヨタ車体クインシーズに移籍が決定した[19]

2017/18シーズンのVプレミアリーグでは、6年連続となるブロック賞を獲得し[20]、トヨタ車体のプレミアリーグ最高位となる3位獲得に大きく貢献した。

2021年6月30日、2020年東京オリンピックの出場メンバー12名に選出された[21][22]

2021年9月22日、現役引退を発表。引退後はトヨタ車体クインシーズのスタッフに就任する[23][24][25]

2022年4月4日、自身のInstagramを更新し、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科に入学したことを報告した[26]。2023年に修了[27]

2024年9月、一般社団法人SVリーグ理事に就任[28]。2025年6月には公益財団法人日本バレーボール協会理事に就任した[29][30]

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人物・エピソード

キャッチコピー
世界をぶちぬく鉄腕エリカ
ファイティング・エリカ(2006世界選手権
  • トレーニングの成果で減量してから、以前よりキレのある動きでプレーの幅が広くなった。
  • 2007年夏に京阪電鉄のマナーポスターに起用された。キャッチコピーは「ブロックの名手荒木選手は音漏れもシャットアウト」。
  • 日本代表チームではアラキングと呼ばれている。

球歴

所属チーム

受賞歴

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個人成績

要約
視点

V.LEAGUEの個人成績は下記の通り[35]

さらに見る 大会, チーム ...
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関連項目

参考文献

  • 吉井妙子 『女子バレーの女神たち』2006年 ぴあ社刊 152-161頁 ISBN 4-8356-1642-1
  • 佐藤直司『コートの中のイタリア』コシーナブックス、2010年4月5日。ISBN 9784904620083

脚注

外部リンク

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