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農商務省 (日本)

かつて存在した日本の中央官庁 ウィキペディアから

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農商務省(のうしょうむしょう)は、かつて産業行政を推進するために設置されていた日本中央官庁。このページでは、第二次世界大戦中に設置された農商省(のうしょうしょう)も併せて述べる。

農商務省

概要 農商務省, 役職 ...

農商務省(のうしょうむしょう)は、明治大正期に存在した日本の中央官庁である。1881年明治14年)に設立され、太政官制の下では農商務卿を長とし、内閣制度創設後は農商務大臣を長とした。所管分野は、主に農業林業水産業商工業といった諸産業である[1]

窒素肥料の研究のため、臨時窒素研究所が設置された。ここでは甲賀三郎大下宇陀児が勤務していた。

1897年(明治30年)には、軍馬の当時の必要性から馬飼育業についてフランス法を翻訳し、フランドル地方の馬種改良規則などを研究した[2]

工場法制定へ向けて全国工場労働者の実態調査をし、その報告書である「職工事情」を1903年(明治36年)に刊行した。

1925年大正14年)に、農林省(現:農林水産省)と商工省(現:経済産業省)に分割された。

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農商省

概要 農商省, 役職 ...

第二次世界大戦中の1943年昭和18年)11月1日農商省(のうしょうしょう)が設置された。明治から大正にかけて存在した「農商務省」と異なり、の文字がないことに注意を要する。長は農商大臣である。

これは、商工省の主要部門が軍需省に移動したため、商工省の残存部門を農林省に統合して「農商省」としたものである。終戦後、軍需省という組織は存在意義を喪失したため、1945年(昭和20年)8月26日、再び農林省と商工省とに分離・復活した。

部局

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沿革

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1903年に農商務省農事試験場園芸試験地へ導入されたラ・フランス
  • 1881年明治14年)4月7日農商務省設置。内務省駅逓局、山林局、勧農局、博物局大蔵省商務局とを統合。
  • 1885年(明治18年)12月22日内閣制度創設。工部省廃止。逓信省設置。工部省の鉱山事務・工作事務を農商務省に統合。農商務省の駅逓事務・管船事務を逓信省に移管。
  • 1896年(明治29年)4月1日、製鉄所を官営組織として創設。
  • 1925年大正14年)4月1日、農商務省廃止。農林省商工省を設置。
    • 農商務省の2分割は農業関係団体からの「農務省」設置要求の建議が数年間にわたって繰り返されてきたことによる。その契機は大正期にはいってからの米価高騰により外国産米輸入措置に対しての農業関係者からの反発が主原因である。
  • 1943年昭和18年)11月1日農商省設置。
戦時中の軍需産業強化のため、商工省の大半と企画院を統合して軍需省を設置。これに伴い、商工省が所管していた繊維産業や日常生活物資についての統制事務を農林省に移管して、農商省とした。
他に商工省が所管していた倉庫行政は新設の運輸通信省に、交易行政は大東亜省に移管された。
  • 1945年(昭和20年)8月26日、農商省廃止。農林省商工省を再設置。
終戦により軍需省の存在意義は喪失したので旧の組織に復帰させた。ただし、軍需省設置時に逓信省から移管された電力行政は商工省にとどまることとなった。

歴代の農商務大臣等

歴代の農商務卿

さらに見る 農商務卿 ...

歴代の農商務大臣・農商大臣

  • 明治憲法のもとでは、内閣総理大臣が交代しても各大臣の地位に影響はなく、何らの任免発令もないまま引き続き大臣の職にとどまることも可能だった。
  • 兼任の場合の表記は次のとおり区別した。
    • 「何々大臣による兼任」としたのは、他大臣が本官であり、農商務大臣が兼官の場合。
    • 「何々大臣を兼任」としたのは、他大臣が兼官であり、農商務大臣が本官の場合。
  • 歴代の数を振っていない大臣は本来の大臣への免官発令がない状態での兼任発令なので後年で言えば臨時代理に相当するが、この当時は発令方式が整理されておらず後年の理屈に照らせば農商務大臣が同時期に二人存在する状態となっている。在任期間も短くないので割愛することなく掲載した。
  • 臨時兼任は代数に含まない。
さらに見る 農商務大臣, 農商大臣 ...

農商務・農商次官

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脚注

関連項目

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