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辻俊哉
日本の元プロ野球選手 (1979-) ウィキペディアから
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辻 俊哉(つじ としや、1979年7月14日 - )は、山梨県甲府市出身の元プロ野球選手(捕手、右投右打)、野球指導者。
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経歴
プロ入り前
甲府工業高校時代は第79回全国高等学校野球選手権大会に出場し、3回戦敗退。
東都大学野球の国士舘大学では1年春からレギュラーとなり、リーグ戦全試合出場で4年時は主将も務めるが1部昇格はなし、2001年のドラフト5巡目でロッテに指名され、入団。
ロッテ時代
2002年、当時正捕手だった清水将海の怪我や、里崎智也・橋本将らの伸び悩みなど、チームの捕手難の事情の中、1年目にして6月に一軍昇格。プロ初本塁打を満塁本塁打で飾り、41試合に出場した。里崎・橋本に続く3番手捕手として一軍に定着したが、自軍が大量リードしている際に途中交代でマスクを被る事が殆どで、大抵は左投手に対してのスタメン・代打で起用され、一塁か指名打者に入る事が多かった。
2006年は、開幕から右の代打として頭角を示し、里崎の故障の際には代役を務め、後半は橋本の極度の不振により2番手として出場機会を増やし、シーズンを通して初めて1軍に居続けた。
オリックス時代
2009年は、一軍選手の相次ぐ故障やその打力を買われ、6月3日の中日戦で、プロ入り初の「5番・一塁手」として出場するなど、移籍後最多の25試合に出場。
2010年はわずか5試合の出場と出場機会が減った。
2011年も8試合の出場に留まったが、二軍ではこの年入団したエバン・マクレーンとバッテリーを組み、マクレーンが一軍に昇格した際もバッテリーを組んで2勝貢献した。
現役引退後
引退後は指導者に転身し、2014年4月より母校国士舘大学のコーチ[2]に就任、同年12月1日付で同大監督に抜擢され就任。2022年まで務めた。
2024年はマツゲン箕島硬式野球部の投手コーチを務めた[3]。
2024年11月13日、横浜DeNAベイスターズが2025年シーズンからのコーチ契約を結んだことを発表した。役職は一軍・二軍の区別のない野手コーチ[4]で、背番号は70[5]。
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選手としての特徴
本職・登録は捕手だが打撃力があり、それを活かして一塁手、代打での出場も多かった。
2006年3月26日の対ソフトバンク2回戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)では、同球場の外野フェンスの右翼ポール際にある福岡銀行の広告看板の同行のマスコットキャラクターが描かれている部分にダイレクトで打球を当て、賞金100万円を獲得した(賞金を獲得したのは柴原洋に次いで2人目)。
詳細情報
年度別打撃成績
年度別守備成績
表彰
- ファーム日本選手権MVP:1回 (2005年)
記録
- 初出場:2002年5月29日、対大阪近鉄バファローズ10回戦(大阪ドーム)、6回裏に捕手で出場
- 初打席:同上、7回表に三澤興一から二塁ゴロ
- 初安打:2002年6月6日、対西武ライオンズ8回戦(西武ドーム)、9回表に青木勇人から中前安打
- 初先発出場:2002年6月24日、対大阪近鉄バファローズ14回戦(大阪ドーム)、9番・捕手で先発出場
- 初打点:同上、8回表に三澤興一から左中間適時二塁打
- 初本塁打:2002年7月2日、対西武ライオンズ14回戦(西武ドーム)、5回表に大沼幸二から左越満塁
- 初盗塁:2006年9月11日、対東北楽天ゴールデンイーグルス17回戦(千葉マリンスタジアム)、8回裏に二盗(投手:福盛和男、捕手:藤井彰人)
背番号
- 45 (2002年 - 2006年)
- 37 (2007年 - 2013年)
- 70 (2025年 - )
脚注
関連項目
外部リンク
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