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長野県庁舎
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長野県庁舎(ながのけんちょうしゃ)は日本の中部地方にある長野県の政治を司る県庁の入る庁舎である。所在地は長野市大字南長野。行政庁舎(自治体組織の長野県庁と長野県警察本部)、議会棟(長野県議会)から構成される。
歴史
- 1871年(明治4年) - 長野県成立、仮庁舎を長野村の西方寺に設置
- 1874年(明治7年) - 旧庁舎竣工
- 1908年(明治41年) - 宿直室から出火し、庁舎全焼
- 1909年(明治42年) - 現在の場所で着工
- 1913年(大正2年) - 竣工
- 1948年(昭和23年) - 別館から出火
- 1952年(昭和27年) - 妻科庁舎1号棟竣工
- 1954年(昭和29年) - 東庁舎竣工
- 1958年(昭和33年) - 妻科庁舎3号棟竣工
- 1967年(昭和42年)2月6日 - 現庁舎竣工2月20日から執務を開始[1]
- 1968年(昭和43年)3月31日 - 県議会議事堂竣工[2]。
- 1968年(昭和43年)5月11日 - 現庁舎落成式[1]。
- 1992年(平成4年)3月31日 - 県議会増築棟竣工
- 1997年(平成9年) - 西庁舎建設のため職員会館などを解体
- 1998年(平成10年)12月15日 - 西庁舎竣工
- 2021年度(令和3年度) - 東庁舎と妻科庁舎1・3号棟が老朽化のため解体[3]
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庁舎
要約
視点
旧々庁舎

現在の信州大学教育学部キャンパスの位置に、明治7年(1874年)に総工費9086円79銭5厘で建築したが[4]、同41年(1908年)5月10日に全焼した[5][4]。焼け残った書籍庫が国の登録有形文化財に登録されている[6]。
旧庁舎


長野市城山に仮庁舎を置き、明治42年(1909年)に現在地に着工し、大正2年(1913年)総工費22万7700円で竣工[4]。昭和23年(1948年)1月14日、庁舎別館から出火し、2211㎡を焼失[4]。
建物の一部が飯綱高原に移築され、ホテルとして利用され、その後、長野県自治研修所飯綱庁舎となった。飯綱高原にある旧県自治研修所の建物については2023年(令和5年)に株式会社長野ホテル犀北館が優先交渉権を獲得し、建物の部材活用や一部移築の構想がある[7]。
現庁舎
本館棟、西庁舎、議会棟、議会増築棟からなる。
昭和38年(1963年)、庁舎の狭隘と老朽化のため、現在地に新築を決定[4]、同40年(1965年)着工、同42年(1967年)2月6日に総工費約18億円で竣工、同年2月20日に執務を開始した[4]。地上10階、地下1階建てで、高さは46.5m。県庁・議事堂の建築総費用は26億6千万円だった[1]。
かつては東庁舎、職員会館や妻科庁舎1・2・3号棟があり、妻科庁舎は本館棟からやや離れた場所に位置していた。
本館棟
西庁舎
議会棟
→「長野県議会」も参照
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交通アクセス
支庁庁舎
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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