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高口隆行
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高口 隆行(たかぐち たかゆき、1983年8月23日 - )は、東京都江戸川区出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者。右投右打。
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経歴
要約
視点
プロ入り前
小学校1年生の時に野球を始め、江戸川南リトルでは全国制覇。江戸川南リトルの先輩に松坂大輔と小谷野栄一がいる。
創価高校では1年秋から遊撃の定位置を掴み、2年春の選抜高校野球では佐賀商に初戦敗退を喫する。3年生(2001年)の夏には全国高等学校野球選手権西東京大会準決勝でその年の全国優勝校である日大三に敗れ、高校での野球生活を終える。その後創価大学に進み、2年からレギュラーの座を手にし、東京新大学リーグのベストナインにも選ばれた。
2005年のプロ野球ドラフト会議(大学生・社会人ほか対象)で6巡目の指名を受け、大学の同期の八木智哉と同じ日本ハムに入団した。
プロ入り後
プロ1年目の2006年は二軍で打率.211と振るわず、一軍での出場は果たせなかったが、2007年は、二軍でチーム最多の90試合に起用され、打率.245、4本塁打を記録した。守備では二塁手を中心に内野の全ポジションを守った。シーズン終盤に一軍に昇格し、チームの優勝決定後の消化試合ながら9月30日の対千葉ロッテマリーンズ戦にてプロ入り初スタメン、初出場を果たした。
2008年は前年の二軍での経験を生かし、一軍で74試合に出場。先発が左投手の場合に三塁手のスタメンとして出場し、金子誠の故障もあって一時期は遊撃手のスタメンに起用されていた。しかし、翌2009年は出場機会が激減し、一軍での出場は僅か3試合に終わった。
2010年は3月30日の対オリックス戦でプロ初本塁打を記録。この年は自己最多となる84試合に出場した。オフに根本朋久との1対2トレードで山本一徳と共に千葉ロッテマリーンズに移籍した[1]。
2011年は前年の出場試合数の半分にも満たない38試合の出場に留まり、打率.045と打撃不振に陥った。オフにロッテへFA移籍した大村三郎の人的補償として、読売ジャイアンツへ移籍した[2]。
2012年からの巨人移籍後は、遊撃手を中心に内野の全位置を守れる守備力が武器のユーティリティープレイヤー[3]として活躍が期待されたが、自身の故障や不振の影響もあり、一軍では2年間で僅か12試合の出場に終わり、2013年11月4日に球団から戦力外通告を受けた[4]。その後、12球団合同トライアウトを受けるも、獲得する球団は現れず現役を引退した[5]。
現役引退後
引退後は古巣の日本ハムの球団職員となり[5]、ベースボールアカデミーのコーチ(野球教室講師)を務めた期間もあった[6]。2019年まで日本ハムでスカウトを務め、2020年よりオリックス・バファローズ二軍内野守備走塁コーチに就任。2021年11月1日に契約満了に伴い来季の契約更新を行わない旨を通告された[7]。同年12月16日、ベースボール・チャレンジ・リーグ(ルートインBCリーグ)・信濃グランセローズの野手総合コーチに就任することが発表された[8]。1シーズン務め、シーズン終了後の10月12日に「本人の申し出」という理由での退団が発表された[9]。2023年2月から母校・創価大硬式野球部のコーチとして後進育成に努めている。
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詳細情報
年度別打撃成績
年度別守備成績
記録
- 初記録
- 初出場・初先発出場:2007年9月30日、対千葉ロッテマリーンズ24回戦(千葉マリンスタジアム)、7番・二塁手で先発出場
- 初打席:同上、2回表に渡辺俊介から遊撃ゴロ
- 初安打:2008年3月23日、対千葉ロッテマリーンズ3回戦(札幌ドーム)、9回裏1死にブライアン・シコースキーから左前安打
- 初打点:2008年5月17日、対福岡ソフトバンクホークス10回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、5回表1死に杉内俊哉から中前へ先制適時打
- 初盗塁:2008年9月28日、対千葉ロッテマリーンズ23回戦(札幌ドーム)、5回裏に二盗(投手:成瀬善久、捕手:里崎智也)
- 初本塁打:2010年3月30日、対オリックス・バファローズ1回戦(東京ドーム)、7回裏2死に岸田護から左越3ラン
背番号
- 58(2006年 - 2010年)
- 36(2011年)
- 53(2012年 - 2013年)
- 85(2020年 - 2021年)
- 78(2022年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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