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1953年のオールスターゲーム (日本プロ野球)
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1953年のオールスターゲームは、1953年7月に行われた日本プロ野球のオールスターゲーム。
![]() | PJ:BASE#NPBポストシーズンに準じた対応をとるべき記事であるため、ランニングスコアの記載等ご遠慮ください。(2022年5月) |
概要
前年、2度目の日本一を達成した読売ジャイアンツ(巨人)監督の水原茂が全セ(オールセントラル・リーグ)を率い、パ・リーグ2連覇を達成した南海ホークス監督の山本一人が全パ(オールパシフィック・リーグ)を率いた。
第1戦は両チーム得点のないまま延長戦に突入したが、11回表に全パ飯田徳治(南海)のタイムリーで勝ち越して勝利を収めた。続く第2戦も中盤まで点の入らない状況が続いたが、5回裏に全セの代打平井三郎(巨人)の2点適時打が飛び出し、そのまま逃げ切った。場所を名古屋に移して開催された第3戦も点が入らない展開が続いたが、9回表、全パが二死一塁の場面から南海の岡本伊三美と堀井数男、松井淳、そして投手の西鉄・川崎徳次の4連続安打で3点をとり、試合を決めた。
梅雨の影響もあって第1戦と第2戦の間が5日間も空いた。しかも2年ぶりに開催された第3戦は全く予定外なまでに遅れたため、球宴史上初のナイターとなった。翌年からはリーグ戦の日程も鑑みて2試合制に戻った。
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選出選手
- 太字はファン投票で選ばれた選手、▲は出場辞退選手発生による補充選手。
- 石川、中尾、梶岡、沢藤、姫野、大津は3試合とも出場機会がなかった[3]。
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試合結果
第1戦
オーダー
第2戦
オーダー
第3戦
オーダー
ラジオ中継
- 第2戦:7月6日
- 第3戦:7月8日
- 第3戦は日程が大幅がずれ込んだために全国中継されなかった。
備考
2月1日に日本放送協会(NHK)が日本で初めてテレビ本放送を(東京エリアのみ)開始させたが、このときはまだテレビによるプロ野球中継を行なっていなかった(初のテレビ中継は8月23日に阪急西宮球場で行われた、パ・リーグの阪急対毎日公式戦である[4])。初のオールスター戦中継は、翌年7月1日の第1戦である。
脚注
関連項目
外部リンク
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