トップQs
タイムライン
チャット
視点
1955年の読売ジャイアンツ
ウィキペディアから
Remove ads
1955年の読売ジャイアンツ(1955ねんのよみうりジャイアンツ)では、1955年における読売ジャイアンツの動向についてまとめる。
この年の読売ジャイアンツは水原茂監督の6年目のシーズンである。
概要
前年中日に球団創設以来の初優勝を許したものの、戦力は前年とほぼ変わらなかった。チームは4月を12勝7敗で勝ち越して開幕ダッシュすると、5月と6月に貯金2ケタを作るなど絶好調で1度も中日や阪神といったライバルチームを寄せ付けず、8月以降は貯金21を稼いで最後は2年ぶりにリーグ優勝。投手陣は30勝で最多勝の大友工がエースにのし上がり、23勝の別所毅彦も1.33で最優秀防御率を獲得。それ以外にも中尾碩志が16勝、若手の安原達佳が12勝をあげるなどチーム勝ち星の8割をこの4人が占めた。日本シリーズは鶴岡一人監督率いる南海との対戦となったが、第4戦まで1勝3敗と負け越し「今年の日本一は南海か」の声が出始めると水原監督は加倉井実や藤尾茂などの若手を起用。これが功を奏したのか第5戦以降を3連勝し、2年ぶりの日本一を達成(水原監督時代の日本一はすべて対南海戦だった)。最後は南海の本拠地・大阪スタヂアムで水原監督が胴上げされた。しかし、1956年以降は4年連続で日本シリーズに敗れ、次の日本一は川上哲治監督に交代した1961年まで待たなければならなかった。
Remove ads
チーム成績
レギュラーシーズン
1 | 左 | 与那嶺要 |
---|---|---|
2 | 二 | 千葉茂 |
3 | 中 | 岩本尭 |
4 | 一 | 川上哲治 |
5 | 右 | 南村侑広 |
6 | 三 | 広岡達朗 |
7 | 捕 | 広田順 |
8 | 投 | 別所毅彦 |
9 | 遊 | 平井三郎 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 読売ジャイアンツ | 92 | 37 | 1 | .713 | 優勝 |
2位 | 中日ドラゴンズ | 77 | 52 | 1 | .597 | 15.0 |
3位 | 大阪タイガース | 71 | 57 | 2 | .555 | 20.5 |
4位 | 広島カープ | 58 | 70 | 2 | .453 | 33.5 |
5位 | 国鉄スワローズ | 57 | 71 | 2 | .445 | 34.5 |
6位 | 大洋ホエールズ | 31 | 99 | 0 | .238 | 61.5 |
日本シリーズ
Remove ads
オールスターゲーム1955
→詳細は「1955年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 選出選手及びスタッフ
- 太字はファン投票による選出、取消線は出場辞退。
個人成績
投手成績
- 色付きは規定投球回(190イニング)以上の選手
- 太字はリーグ最高
主な打撃成績
- 色付きは規定打席(335打席)以上の選手
- 太字はリーグ最高
Remove ads
できごと
選手・スタッフ
表彰選手
出典
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads