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1971年の阪急ブレーブス
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1971年の阪急ブレーブスでは、1971年の阪急ブレーブスにおける動向をまとめる。
この年の阪急ブレーブスは、西本幸雄監督の9年目のシーズンであり、2年ぶり4度目のリーグ優勝を果たしたシーズンである。
概要
4位で終わったチームの立て直しを図るべく、西本監督はこの年から加藤秀司を一塁に起用し4番長池徳士・5番に大熊忠義のクリーンナップを組むなど打線を再編。投手陣では3年目の山田久志が22勝を挙げてエースとなるなど、一気に世代交代が加速した。
新戦力の投入でチームは5月以降近鉄から首位を奪うと、7月初めには前年優勝のロッテに6ゲーム差をつけ、独走状態に突入。しかしロッテの追い上げにあい、ゲーム差なしまで追い詰められたものの最後は2年ぶりにリーグ優勝を達成。
投手陣では22勝を挙げた山田のほか、長くチームを支えた米田哲也・梶本隆夫・足立光宏などのベテラン勢が奮闘。打撃陣では加藤と同期入団の福本豊がこの年も盗塁王を獲得し、チームの看板選手となった。
日本シリーズでは1勝1敗で迎えた第3戦、エース山田はここまで6連覇中の巨人に付け入るスキを与えず9回1死まで完ぺきな投球を見せた。しかし長嶋茂雄の打球を遊撃手の阪本敏三が取れず内野安打になるはずの打球がセンター前へ飛び、続く王貞治に逆転サヨナラ3ランを打たれて流れが巨人に傾くと長池・加藤・大熊といった主力打者が封じられて福本も走れず、1勝4敗で敗退した。
シーズン終了後、阪本と正捕手の岡村浩二はトレードで東映に放出された。
6月5日東映戦第1試合で石井茂雄(○7―0)、第2試合で梶本隆夫(○6―0)、8日近鉄戦で足立光宏(○8―0)がいずれも完封勝利を挙げ、3試合連続完封勝利となった。[3]
7月4日の近鉄戦では後述のように無安打で5点をもぎ取り、7月13日のロッテ戦では没収試合のハプニングがあった。
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チーム成績
レギュラーシーズン
1 | 中 | 福本豊 |
---|---|---|
2 | 遊 | 阪本敏三 |
3 | 左 | 加藤秀司 |
4 | 右 | 長池徳二 |
5 | 三 | 森本潔 |
6 | 一 | 石井晶 |
7 | 二 | 山口富士雄 |
8 | 捕 | 岡村浩二 |
9 | 投 | 米田哲也 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 阪急ブレーブス | 80 | 39 | 11 | .672 | 優勝 |
2位 | ロッテオリオンズ | 80 | 46 | 4 | .635 | 3.5 |
3位 | 近鉄バファローズ | 65 | 60 | 5 | .520 | 18.0 |
4位 | 南海ホークス | 61 | 65 | 4 | .484 | 22.5 |
5位 | 東映フライヤーズ | 44 | 74 | 12 | .373 | 35.5 |
6位 | 西鉄ライオンズ | 38 | 84 | 8 | .311 | 43.5 |
日本シリーズ
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オールスターゲーム1971
→詳細は「1971年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- この年の阪急は監督推薦による出場のみ
できごと
選手・スタッフ
表彰選手
ドラフト
→詳細は「1971年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
出典
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