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1971年のオールスターゲーム (日本プロ野球)
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1971年のオールスターゲームは、1971年7月に行われた日本プロ野球のオールスターゲーム。
![]() | PJ:BASE#NPBポストシーズンに準じた対応をとるべき記事であるため、ランニングスコアの記載等ご遠慮ください。(2022年5月) |
試合概要
前年、日本選手権を連続6回目で制した読売ジャイアンツ(巨人)の川上哲治監督が全セ(オールセントラル・リーグ)を率い、10年ぶりのパ・リーグ優勝のロッテオリオンズの濃人渉監督が全パ(オールパシフィック・リーグ)を率いた。
第1戦、江夏豊(阪神)による9者連続奪三振が功を奏し5対0で全セが先勝。雨で1日延びた第2戦は逆に各チームの主戦投手をつぎ込んだ全パが全セを2安打完封。第3戦は序盤に全パ・張本勲(東映)と全セ・長嶋茂雄(巨人)のホームランが出たもののその後は0行進。1点多く獲った全パが勝ち越しを決めた。
江夏の9者連続奪三振
→詳細は「江夏のオールスター9連続奪三振」を参照
江夏はこの年の前半戦は不調(1971年成績:15勝14敗)だったが、ファン投票選出された。第1戦の先発を任された江夏は1回裏全パ1番有藤通世(ロッテ)、2番基満男(西鉄)、3番長池徳二(阪急)から連続三振を奪った。直後の2回表に2死一、三塁で打席のまわった江夏は全パ先発米田哲也(阪急)から3ラン本塁打を放ち波に乗ると、その裏リーグ首位打者・4番江藤愼一(ロッテ)からも三振を奪い、土井正博(近鉄)、東田正義(西鉄)らパ・リーグ強力打者のバットが次々と空を切った。そして3回裏も7番阪本敏三(阪急)、8番岡村浩二(阪急)からも三振を奪うと、米田の代打に加藤秀司(阪急)が登場。加藤からも三振を奪い、9者連続奪三振記録を達成し、江夏はマウンドを降りた。
その後全セ必勝を期して渡辺秀武(巨人)-高橋一三(巨人)-水谷寿伸(中日)-小谷正勝(大洋)のリレーで臨み、全パを無安打、16奪三振に抑え込んだ。
全員奪三振を目指して投げ続けた江夏はキャッチャーフライを捕球しようとしようとした田淵に「捕るな!」と言ったとされているが、後に江夏はこれを「(スタンドに入るだろうから)追うな!」と叫んだものである、と著書[出典無効]の中で述べている。
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選出選手
- 太字はファン投票で選ばれた選手。
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試合結果
第1戦
オーダー
第2戦
オーダー
第3戦
オーダー
テレビ・ラジオ中継
テレビ中継
- 第1戦:7月17日
- 第2戦:7月19日
- 第3戦:7月20日
- ※第1戦はNHK総合の独占中継となったが、オールスターゲームのテレビでのNHKの独占中継はこの試合が最後である(2022年現在)。
- ※第2戦は本来7月18日開催で、中部日本放送≪TBS系列≫(出演予定 実況:古賀良彦 解説:杉浦清、松木謙治郎 ゲスト:虫明亜呂無)で放送されることになっていたが、雨天中止となり、予備日となった7月19日はCBCが編成の都合で中継できなかったため(当時TBS系の月曜ゴールデンタイムには『YKKアワー キックボクシング中継』『ブラザー劇場』『ナショナル劇場』と一社提供番組が連続して編成されていた)、東京12chで代替放送された。当時東京12chは系列局がなかったものの、中京テレビ放送に日本経済新聞社の資本があったために事実上のクロスネット局関係にあったが、CTVに中日新聞社の資本がなく、中日ドラゴンズ主管試合の放映権も与えられていなかったため、CTVでは放送されず、中京地区ではMTV・GBSが技術協力の形でネット受けを行った。関西地区では近畿放送(現:京都放送)がネット受けした一方、サンテレビはネット受けせず遅れネット番組や自社制作番組などの自主編成としていた他、中国地方では放送がなかった(出典:産経新聞・近畿版および岡山版、中国新聞、1971年7月19日、各テレビ欄)
ラジオ中継
- 第1戦:7月17日
- 第2戦:7月19日
- 第3戦:7月20日
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脚注
関連項目
外部リンク
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