トップQs
タイムライン
チャット
視点
1980年の近鉄バファローズ
ウィキペディアから
Remove ads
1980年の近鉄バファローズ(1980ねんのきんてつバファローズ)では、1980年の近鉄バファローズにおける動向をまとめる。
この年の近鉄バファローズは、西本幸雄監督の7年目のシーズンであり、2年連続のリーグ優勝を果たしたシーズンである。
概要
要約
視点
リーグ連覇と初の日本一を目指し臨んだシーズンだったが、前期は4月下旬に6連敗を喫し最下位に転落と出遅れる。その後6連勝で持ち直すが、5月下旬にロッテが7連勝で首位に立つとその後も2位以下との差を広げ、前期はロッテが優勝し近鉄は最終的に前期2位に終わる。後期は南海を除く5球団による混戦が9月上旬まで続くがその後阪急がまず脱落、さらに前後期優勝を目指したロッテも9月末に3連敗を喫し一歩後退。わずかな可能性を残す近鉄だったが10月5日に最下位南海とのダブルヘッダーに連敗し、日本ハムが後期優勝に王手をかけて10月7日の直接対決を迎える。後楽園球場に札止め5万人の大観衆を集めて行われた大一番は、打率・本塁打リーグトップのいてまえ打線が22勝の新人木田勇を打ち込み6-5で勝利。翌8日には西武との直接対決を井本隆の力投でものにし西武は脱落。そして11日、西武に引き分けでも日本ハムの優勝が決まる後期最終戦で、本塁打・打点二冠のチャーリー・マニエルが逆転3ランを放つとその後も打線が爆発し10-4と大勝し逆転で後期優勝を決める。ロッテとのプレーオフは井本、鈴木啓示の好投で王手をかけると、第3戦は本塁打攻勢で大勝し3連勝でリーグ連覇。クローザー山口哲治を故障で欠いた投手陣はリーグ1位の50完投を記録したが、チーム防御率は4.96と5点台近くまで低下。一方で打撃陣はマニエルの48本塁打を筆頭に2桁本塁打の打者を多く出し、打率ベスト10にはマニエル、栗橋茂、佐々木恭介をはじめ4人を送り込んだ。前年に続き広島との顔合わせとなった日本シリーズは先に王手をかけるも、第6戦を落とすと続く第7戦、1点リードでリリーフに立った鈴木が打たれ3勝4敗で敗れ、西本監督悲願の日本一はまたもならなかった。
- 西武首位陥落から近鉄後期優勝まで
Remove ads
チーム成績
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 近鉄バファローズ | 68 | 54 | 8 | .5574 | 優勝 |
2位 | ロッテオリオンズ | 64 | 51 | 15 | .5565 | 0.5 |
3位 | 日本ハムファイターズ | 66 | 53 | 11 | .555 | 0.5 |
4位 | 西武ライオンズ | 62 | 64 | 4 | .492 | 8.0 |
5位 | 阪急ブレーブス | 58 | 67 | 5 | .464 | 11.5 |
6位 | 南海ホークス | 48 | 77 | 5 | .384 | 21.5 |
*優勝はプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定
プレーオフ
日本シリーズ
Remove ads
オールスターゲーム1980
→詳細は「1980年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 選出選手及びスタッフ
- 太字はファン投票による選出、他は監督推薦による選出。
できごと
選手・スタッフ
表彰選手
ドラフト
→詳細は「1980年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
脚注
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads