トップQs
タイムライン
チャット
視点

1988年の横浜大洋ホエールズ

ウィキペディアから

1988年の横浜大洋ホエールズ
Remove ads

1988年の横浜大洋ホエールズ(1988ねんのよこはまたいようホエールズ)では、1988年の横浜大洋ホエールズにおける動向をまとめる。

概要 成績, 本拠地 ...

1988年の横浜大洋ホエールズは、古葉竹識監督の2年目のシーズンである。

概要

シーズン開幕直前に山下大輔が体力の限界を理由に現役引退。ベテランの田代富雄も開幕を2軍で迎えるなど誤算が続出。4月は開幕ダッシュに失敗するが、5月以降は盛り返し、後半戦開幕時には4位ながらも首位中日に5ゲーム差と詰めよったが、8月以降は負けが込み、終盤は前年同様ヤクルトとの4位争いとなったが、これに勝って4位を死守した。投手陣では3年目の中山裕章が衰え始めた斉藤明夫に代わって守護神となり、欠端光則大門和彦もまずまずの成績を挙げたが、それに続く投手はおらず、またエース・遠藤一彦はアキレス腱断裂の影響もあって往年の投球には程遠く、スタミナ切れも目立った。打撃陣では新外国人のジム・パチョレックが1年目ながら打率を3割に乗せたが、首位打者獲得はならなかった。主砲のカルロス・ポンセはこの年も打撃好調で、最終的に本塁打と打点の二冠王となった。また、高木豊屋鋪要が走りまくって121盗塁でリーグ1位を記録し、チーム打率も.273でリーグ1位を記録するもポンセ、パチョレック以外の打者が長打不足で85本塁打がリーグ5位に終わった。銚子利夫が三塁に定着して規定打席に到達、山崎賢一が台頭するなど徐々に世代交代が進んだ。カード別成績ではヤクルトに16勝8敗2分と勝ち越したのが最高で、最下位の阪神には12勝14敗と苦戦した。この年から木庭教らの広島スカウト陣が加入したこともあり、広島出身の谷繁元信石井琢朗(当時・忠徳)ら後の主力となる素材を獲得している。

Remove ads

チーム成績

レギュラーシーズン

さらに見る 開幕:4/8, 5/1 ...

[2]

さらに見る 順位, 4月終了時 ...
1988年セントラル・リーグ最終成績
順位球団勝率
1位中日ドラゴンズ79465 .632優勝
2位読売ジャイアンツ68593 .53512.0
3位広島東洋カープ65623 .51215.0
4位横浜大洋ホエールズ59674 .46820.5
5位ヤクルトスワローズ58693 .45722.0
6位阪神タイガース51772 .39829.5

[1]

Remove ads

オールスターゲーム1988

  • ファン投票
ポンセ
  • 監督推薦
中山裕章
新浦壽夫
高木豊

できごと

選手・スタッフ

[3]

表彰選手

さらに見る リーグ・リーダー, 選手名 ...
さらに見る ベストナイン, 選手名 ...

ドラフト

さらに見る 順位, 選手名 ...

出典

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads