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1988年の阪神タイガース

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1988年の阪神タイガース
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1988年の阪神タイガースでは、1988年の阪神タイガースにおける動向をまとめる。

概要 成績, 本拠地 ...

1988年の阪神タイガースは、2回目の村山実監督体制の1年目(通算4年目[1])のシーズンである。

概要

チームが1985年の優勝時のメンバーに頼りすぎ世代交代などの抜本的な改革ができないまま、前年の最下位を招いたため村山新監督が就任。開幕投手には5年目の仲田幸司を指名した。開幕3連戦は広島の先発3本柱北別府学大野豊川口和久に打線を封じられ、4戦目の対巨人戦も落として4連敗スタートとなった。5戦目以降は立て直し、4月を9勝9敗、5月を11勝10敗1分で乗り切ったが、6月以降は連敗負け越しを繰り返し、シーズン終了まで黒星先行の苦しい展開が続いた。村山監督は就任後、「少年隊トリオ」と呼ばれた和田豊大野久中野佐資をはじめとする若手選手を積極的に起用した。結果、和田が遊撃手としてレギュラーに定着し、最多犠打を記録。大野、中野も一定の成績を収めた。しかし6月、三冠王に2回輝き、1985年の日本一に貢献したランディ・バースが退団し、代わりに獲得したルパート・ジョーンズも肩のケガで満足な成績を残すことが出来ないなど、打撃力の低下に歯止めがかからなかった。投手陣は2年目のマット・キーオがエースの活躍を見せ(12勝12敗、防御率2.76)1985年のV戦士・仲田幸司池田親興、ルーキー野田浩司も先発ローテーションを守って規定投球回に到達したが、打線の援護にとぼしくいずれも勝ち越すことが出来なかった。6月を境にチーム順位は下降し、オールスターゲーム以降は最下位に定着してしまい、結局球団史上初の2年連続最下位に終わる。開幕からフルイニング出場の掛布雅之は7月12日の対広島戦を最後に登録抹消され、シーズン終了後に33歳の若さで引退した。

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チーム成績

レギュラーシーズン

さらに見る 開幕:4/8, 5/1 ...

[2]

さらに見る 順位, 4月終了時 ...
1988年セントラル・リーグ最終成績
順位球団勝率
1位中日ドラゴンズ79465 .632優勝
2位読売ジャイアンツ68593 .53512.0
3位広島東洋カープ65623 .51215.0
4位横浜大洋ホエールズ59674 .46820.5
5位ヤクルトスワローズ58693 .45722.0
6位阪神タイガース51772 .39829.5
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1988 サンヨー オールスターゲーム

さらに見る ポジション, 名前 ...
  • この年の阪神は監督推薦による選出のみであった。

入団・退団

シーズン開幕前

さらに見る 支配下選手, 登録 ...

シーズン開幕後

本節では、本シーズン開幕から本シーズン終了までの入退団について記述する。 本節では、本シーズン開幕から終了までの入退団について記述する。

さらに見る 支配下選手, 登録 ...
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選手・スタッフ

[3]


試合結果

要約
視点
さらに見る 凡例, 勝利試合 ...
さらに見る 4月(9勝9敗 .500), # ...

※日付の後の(a)はダブルヘッダー第1試合(b)はダブルヘッダー第2試合

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個人成績

要約
視点

投手成績

  • 色付きは規定投球回数(130イニング)以上の選手
  • 太字はリーグ最高。
さらに見る 選手, 登板 ...

[注 1]

打撃成績

  • 色付きは規定打席(403打席)以上の選手
  • 太字はリーグ最高。
さらに見る 選手, 試合 ...
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表彰

選出なし

達成記録・出来事

ドラフト指名選手

さらに見る 順位, 選手名 ...

脚注

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