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F1コンストラクターの一覧
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F1コンストラクターの一覧(F1コンストラクターのいちらん)では、1950年に始まった、FIA F1世界選手権に参戦したことのあるコンストラクターを一覧する。
なお、F1において「コンストラクター」とは、「マシン製造者」であり、厳密な意味において「チーム」とは異なる。ただし、現在では「チーム=コンストラクター」であることがレギュレーション上定められている。そのため、例えば「ローラ」はチームとしての参戦は1997年シーズンなどごくわずかだが、「コンストラクター」としては多くのチームへ供給している関係から、多数の参戦経歴が記録されている。また、参戦の連続性については、資本関係などに変更があってもコンストラクター名称が同一であれば「連続して参戦している」とみなされる(マクラーレン、ウィリアムズなど)ことが一般的だが、運営母体や資本関係の変更がなくてもコンストラクター名称が変更されれば記録はリセットされる(ザウバー→アルファロメオ→キック・ザウバー、トロ・ロッソ→アルファタウリ→RB→レーシングブルズなど)ことが一般的である。また、運営母体が全く異なり、チームとしてのつながりもないが、命名権や商標権の取得によりかつて参戦していたコンストラクターの名称が用いられたロータス(チーム・ロータス、ロータス・レーシング→チーム・ロータス、ロータスF1チーム)とアルファロメオ(フルワークスチーム時代およびユーロレーシング運営時代とザウバー運営時代)や、前記したウィリアムズについてもウルフに売却される前(フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズ)と売却後に設立した現在のチーム(ウィリアムズ・グランプリ・エンジニアリング)は文献によって記録を合算しているものもあるが、本項目では別々の記録として扱う。
ただし、近年は通算記録の位置づけが曖昧なものとなってきており、F1公式ホームページ内の「Teams」項目内にて表示される初参戦年や通算勝利数などの記録[1]が「同一コンストラクター(チーム)名」による記録のものとは異なる表記となっているチームもあるため、脚注にて補足している。
記録は全て2024年アブダビグランプリ終了時のもの。なお、2021年から始まったスプリントのポイントを除く記録は含まない。
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参戦コンストラクター一覧
要約
視点
- Key: 出走:決勝をスタートした回数、優勝:優勝回数、PP:ポールポジション回数、FL:ファステストラップ回数、表彰台:表彰台回数、得点:コンストラクターズ選手権ポイント(1958-)、WCC:コンストラクターズチャンピオン回数、WDC:ドライバーズチャンピオン輩出回数
- コンストラクターズチャンピオン制定前の1957年まではコンストラクターへのポイントが付与されなかったため、1950-1957年のみ参戦したコンストラクターについては、得点及びWCC(コンストラクターズチャンピオン獲得回数)の欄を「-」で表記している。
- インディ500[注 1]のみ参加したコンストラクターは除外。
2025年のF1世界選手権に参戦するコンストラクター
2025年に参戦するコンストラクターを示す。
- デフォルトの序列は出走回数順。
参戦している全10チームのうち、7チームがイギリスに活動拠点を置いている。
今後参戦が予定されているコンストラクター
かつて参戦していたコンストラクター
決勝レースに参戦できなかったコンストラクター
エントリーはしたものの参戦しなかったコンストラクター
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参戦に至らなかったコンストラクター
DAMS - レイナードと共同制作したGD-01を1995年に発表したが、参戦には至らなかった。
アンドレッティ - 2021年当初は既存チームを買収する形で新規参入を目指したが[15]、その対象となったアルファロメオ(ザウバー)[16]やハースから拒否された[17]。2023年1月にゼネラルモーターズ(GM)と組み、同社傘下のブランド「キャデラック」の名を用いた「アンドレッティ・キャデラック」として2025年からの新規参入を目指し[18]、同年10月にFIAから承認され[19]、GMも2028年からF1パワーユニット製造者登録を済ませて準備を着々と進めていったが[20]、翌2024年1月にFOMから参戦を拒否された[21]。その後、アンドレッティがチームの運営から外れ[22]、GMが主導するフルワークスチーム体制に変更し、名称を「キャデラック」単独とすることで同年11月に2026年からの新規参戦が許可されている[23]。
ステファン - 2009年に撤退したトヨタの資産を引き継ぎ、翌2010年の参入を目指したが、参戦権を得られず断念。
ディレクシブ - 2006年にデビッド・プライス・レーシング(DPN)と組んで2008年からの参入を目指したが却下された。
童夢 - 1996年にプロトタイプカーのF105を制作し、搭載するエンジンが無限ホンダということで、「オールジャパンチーム」としてのF1参戦を目指しテスト走行も行われたが、参戦するまでには至らなかった。
フェニックス - 2001年に撤退したプロストの資産を買い取り、翌2002年から「フェニックス・グランプリ」として参戦を目指したが、FIAに却下された。
ブラボ - シムテックに車両製作を依頼(ブラボ・S931)したが、チームオーナーの急死により参戦を取りやめた。
プロドライブ - 2008年からの参入を目指したが、マシンを自社開発せずカスタマーマシンを使用することで論争となり、参戦を断念した。2010年に参戦チームを増加させるタイミングで再び参入を目指すことになったが、FIAのエントリーリストから落選し、それ以降参戦への動きは見られなくなった。
レイナード - 1990年にベネトンを去ったロリー・バーンやパット・シモンズを迎え、1992年からの参戦を目論んだが、資金面やエンジンの確保に失敗して頓挫。レイナード在籍時にバーンが手掛けたデザインは復帰したベネトンのB192やパシフィック・PR01に反映された。前述したDAMSとの共同制作を経て、1999年から参戦を開始したB・A・Rのマシン設計を請け負ったが、2002年3月に倒産した[24]。
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参照文献
- en:List of Formula One constructors (2023年12月28日 20:11:27(UTC))
- Constructors - STATS F1
脚注
関連項目
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