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2008年のF1世界選手権

第59回F1世界選手権 ウィキペディアから

2008年のF1世界選手権
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2008年のF1世界選手権(2008ねんのエフワンせかいせんしゅけん)は、FIAF1世界選手権の第59回大会となる。2008年3月16日にオーストラリアで開幕し、11月2日にブラジルで開催される最終戦まで、全18戦で争われた。

2008年のFIAフォーミュラ1
世界選手権
前年: 2007 翌年: 2009
一覧: 開催国 | 開催レース
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2008年のF1世界選手権においてドライバーズタイトルを獲得したルイス・ハミルトン

シーズン概要

要約
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2年連続1ポイント差でのチャンピオン決定

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フェラーリ・F2008
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F1デビュー2年目にチャンピオンを獲得したハミルトン
最終戦ブラジルGPを制しながら、1ポイント差でハミルトンに敗れたマッサ

2007年シーズンの最終戦まで激しいタイトル争いを繰り広げたマクラーレンフェラーリが2008年もタイトル争いの中心となった。マクラーレンのルイス・ハミルトンはエースドライバーに成長したが、ドライビングマナーを問われて度々ペナルティを受けた。一方、フェラーリでは前年チャンピオンのキミ・ライコネンに代わり、フェリペ・マッサがタイトル争いに名乗りを上げたが、トップ走行中の2度のトラブルなど不運に見舞われた。

前年に続き、最終戦ブラジルGPがチャンピオン決定戦となった。このレースはマッサが制し、中団に沈んだハミルトンはこのままではマッサの逆転チャンピオンを許す展開に陥っていたが、残り僅かのところでハミルトンが順位を上げてチェッカーを受け、自身初のドライバーズチャンピオンが決定。前年に1ポイント差で逃したタイトルを、今回は1ポイント差で手にする形となった。23歳300日での戴冠は2005年フェルナンド・アロンソを抜く当時の最年少記録となり(2010年セバスチャン・ベッテルが更新)、「黒人初のF1チャンピオン」という肩書きも与えられた。

伏兵の活躍

2008年シーズン中の優勝者は7人を数え、新たに3名のドライバーと2つのチームが初優勝を経験した。

BMWザウバーロバート・クビサカナダGPで優勝し、ポーランド人初のF1ウィナーとなった。BMWザウバーは前身のザウバー時代も含めて初勝利を手にした。クビサはこの勝利で一時ポイントリーダーとなり、終盤戦までチャンピオン争いに加わった。

マクラーレンのヘイキ・コバライネンハンガリーGPで初優勝し、1950年の選手権開幕以来100人目の優勝ドライバーとなった。

トロ・ロッソセバスチャン・ベッテルイタリアGPで最年少ポールポジションと最年少優勝を達成した。トロ・ロッソも前身のミナルディ時代を含めて初勝利となり、最終的に本家のレッドブルを上回るコンストラクターズランキング6位を獲得した。

また、古巣ルノーに復帰したアロンソは終盤戦のアジアラウンドで2連勝し、シーズン後半戦はハミルトンやマッサに匹敵するポイントを獲得した。

日系2チームの撤退

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スーパーアグリの撤退を惜しむ垂れ幕(カナダGP)

2007年最終戦ブラジルGPでスポット参戦した中嶋一貴が、ウィリアムズからF1フル参戦を開始した。

2006年シーズンから参戦を続けていたスーパーアグリは開幕前から資金難が表面化し、チーム存続を賭けた売却交渉も成立せず、第4戦スペインGPを最後に活動を休止、そのまま消滅した。

さらに、スーパーアグリを後援していたホンダも、リーマン・ショック後の経営環境悪化を受けて、シーズン終了後にF1からの撤退を発表した。チームは当時のチーム代表であったロス・ブラウンへ売却、2009年ブラウンGPとして参戦することになった。

また、2年続けて日本GPを開催した富士スピードウェイは、2009年から鈴鹿と隔年開催することが決まっていたが、2009年7月に返上を表明したため、結果的にこの年が(2025年現在)富士での最後のF1開催となっている。

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レギュレーション変更

スタンダードECU (SECU) の導入
エンジンやセミATギアボックスクラッチディファレンシャルギアなどの制御中枢となるエレクトロニックコントロールユニット[1] (ECU) を標準化し、マイクロソフトマクラーレン・エレクトロニック・システムズ (MES) の合弁企業であるマイクロソフトMESが公式サプライヤーとなる(2006年7月選定)。チームが各々パラメーターを設定することは認められるが、トラクションコントロールエンジンブレーキ補助、スタート加速制御(ローンチコントロール)といったドライバーアシスト機能が禁止された。トラクションコントロールは1994年に一度禁止されたが、制御プログラムの取締りが困難なため2001年スペインGPより使用が解禁され、熾烈な開発競争が行われていた。
予選方式の変更[2]
予選Q1が15分から20分、Q3が15分から10分に変更される(Q2は15分で変更なし)。Q3終了後の燃料再給油を禁止する。従来の予選Q3ではレーススタート時の燃料を搭載して走行し、セッション後に走行分の燃料を補充ことができたが、燃料を軽くするための消費周回(バーンアウトラップ)が省エネルギー思想に反すると不評だった。
バーレーンGPより燃料節約のためのスロー走行を禁止。アタックラップ以外でもセッション最速タイムの120%以内で走行しなければならない。
トルコGPよりQ1、Q2でそれぞれ5台が脱落する(スーパーアグリ撤退による)。
コスト削減
  • エンジンのホモロゲーション範囲を付属部品にまで拡大する。
  • ギアボックスは4レース連続で1基を使用する(金曜日は除外)[2]。期限前に交換すると5グリッド降格ペナルティとなる。
  • 各チームが持ち込めるマシンは2台まで(スペアカーの禁止)[2]
  • マシン製造時に希少素材の使用を禁止する。

その他

  • 故障による1回目のエンジン交換は10グリッド降格ペナルティを免除される[1]
  • 使用燃料に最低5.75%のバイオ燃料を混合する[1]
  • コクピット側部プロテクターの高さを20mm引き上げ、長さも延長する[1]。マシンが横から乗り上げた際の頭部保護のため。
  • 若手育成措置として、過去2年間F1でレース経験のないドライバー、もしくは過去2年間に4日以上テスト走行をしていないドライバーは、チームの年間テスト制限 (30,000km) の枠外で200kmのテスト走行を認められる[2]
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開催地および勝者

さらに見る Rd., レース ...

エントリーリスト

要約
視点

新規エントリー

2008年度のエントリー申請は2006年3月31日に締め切られ、12枠に22チームが応募したと発表された。既存の11チームに加えて11の新チームが応募したことになる。これだけ新規参戦希望が集まった背景には、マックス・モズレーFIA会長が断行するコスト削減案がある[3]コンコルド協定の改訂により2008年からオリジナルシャーシを開発せずとも、カスタマーシャーシを購入して参戦することが認められるという見込みがあった[4]

また、FIAと対立し、2008年からの新シリーズ発足を表明しているグランプリ・マニュファクチャラーズ・アソシエーション (GPMA) 加盟メーカー5社に対する牽制という見方もあった[5]。最終的にGPMA側が分離独立を断念し、2008年のエントリー申請を行った。

FIAは22チームの名を公表しなかったが、報道では以下のような新規応募者が予想された。

その他に、元F1ドライバーのエディ・アーバインB・A・R元チーム代表のクレイグ・ポロックジョーダン元オーナーのエディ・ジョーダンといった人物の名も挙げられた。

2006年4月28日、FIAはエントリーを承認した12チームを発表。既存11チームに加えて、プロドライブが選出された[3]。しかし、カスタマーシャーシの解禁を巡る調整が難航し、コンコルド協定の更改が不透明になったことから、2007年11月にプロドライブは2008年の参戦を断念すると発表した[8]

参戦チーム・ドライバー

さらに見る エントラント, コンストラクター ...

*スーパーアグリF1チームは第4戦スペイングランプリをもって撤退。
**ホンダ・レーシング・F1チームは2008年をもって撤退することをシーズン終了後に発表[9]

  • 全チームシーズン中のレギュラードライバーの交代が行われることがなかった。
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結果

要約
視点

ドライバーズ・ワールド・チャンピオンシップ(選手部門)

さらに見る 順位, ドライバー ...

リタイアしたがレース距離の90%以上を走行していたため完走扱い

コンストラクターズ・ワールド・チャンピオンシップ(製造者部門)

さらに見る 順位, コンストラクター ...

リタイアしたがレース距離の90%以上を走行していたため完走扱い

スーパーアグリ・チームは2008年5月6日をもって撤退した[10]。 同チームは翌日管理に入った[11]

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脚注

外部リンク

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