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山形市立商業高等学校
山形県山形市にある高等学校 ウィキペディアから
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山形市立商業高等学校(やまがたしりつ しょうぎょうこうとうがっこう、英: Yamagata Civic Commercial High School)は、山形県山形市あかねヶ丘にある市立商業高等学校。1918年(大正7年)創立で、県内唯一の市立高[1]。文部科学省スーパーイングリッシュランゲージハイスクール(SELHi)に指定されている。
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概要
「総合ビジネス科」「経済科」「国際コミュニケーション科」の3学科があり、日商簿記検定など各種検定の取得に強く就職率も高いが、卒業後は約半数が大学に進学。指定校推薦なども多数あり、経済科の進学率は約90%(将来目標100%)[2]。“高いレベルで就職も進学もできる商業高校”として関係者から高い評価を得ているといい、学校として「日本一の商業高校をめざす!」としている[1]。
略称は「山形商業」、「山商」(やましょう)。山形市近辺では「商業」とも呼ばれている。
また、校舎などを約105億円の総事業費をかけPFI方式で全面改築。食堂と図書館を一体的に活用する「ラーニング・コモンズ」(多目的)も設置される[3]。
沿革
年表
- 1918年(大正7年) - 4月1日、甲種商業学校「市立山形商業学校」として設置認可[4]
- 1924年 - 6月27日、十日町より小荷駄町に移転
- 1944年(昭和19年) - 3月31日、「市立山形工業学校」に転換。市立山形工芸学校を併置
- 1946年 - 3月31日、市立山形工芸学校廃校
- 1948年 - 3月10日、学制改革により新制高校「市立山形商業高等学校」設置
- 1951年 - 3月31日、市立山形商業高等学校廃校。4月1日、市立山形商業高等学校と市立山形女子商業高等学校を統合し、新たに「山形市立商業高等学校」を設置
- 1960年 - 9月27日、財団法人長谷川学事奨励基金設立
- 1975年 - 4月21日、小荷駄町よりあかねヶ丘に移転
- 2004年(平成16年) - 文部科学省よりSELHi(スーパーイングリッシュランゲージハイスクール)に指定[5]
基礎データ
交通アクセス
鉄道
校章
- 校章:マーキュリー
校訓
- 校訓:輸誠(ゆせい)
授業
設置学科
- 2年次からのコース制となっており、流通ビジネスコース、情報ビジネスコース、会計ビジネスコースに分かれる。流通ビジネスコースは全商商業経済検定1級、情報ビジネスコースは全商情報処理検定1級(ビジネス情報部門)、会計ビジネスコースは全商簿記検定1級をそれぞれ2年次の冬期に取得することを目標としている。(ただし選択したコースに関係なく、他の検定種目もそれに関する選択科目の授業を受けたり自主学習をしたりすることなどによって自由に取得することができる)
- 経済科
- 国際コミュニケーション科
その他
高等学校必履修科目未履修問題で、日本史もしくは地理と倫理の授業を政治経済に割り当てている、大学への推薦書類で未履修科目に成績をつけている、などの履修不足が問題化した。
部活動
部活動では、女子バスケットボール部が2011年(平成23年)ウィンターカップ準優勝、女子バレーボール部の春の高校バレー出場のほか、レスリング部が全国有数の強さを誇り、好結果を残している。
- 運動部
- 硬式野球部、男子ソフトテニス部、男子バスケットボール部、男子卓球部、サッカー部、女子ソフトテニス部、女子バスケットボール部、女子卓球部、スキー部 男子バレーボール部、男子器械体操部、男子剣道部、レスリング部、女子バレーボール部、女子器械体操部、女子剣道部、男子陸上競技部、男子バドミントン部、ソフトボール部、女子陸上競技部、女子バドミントン部
- 文化部
- 文芸部、新聞部、英語部、書道部、茶道部、美術部、演劇部、タイピング部、家庭部、吹奏楽部、簿記部、コンピュータ部、放送部、ボランティア部、ハーモニカバンド部、産業調査部
- 同好会、その他
- 華道愛好会、応援団
友好校
主な卒業生
バスケットボール
バレーボール
経済
文化
芸能
その他
- 市川昭男 - 元山形市長
- 笹原正三 - 日本オリンピック委員会(JOC)元副会長。メルボルン五輪金メダリスト(アマチュアレスリング選手)
- 佐藤永志 - 元プロサッカー選手
- 吉田篤志 - プロサッカー選手
ゆかりの人物
歴代校長
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出典
関連項目
外部リンク
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