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稲荷町停留場
広島市南区にある広島電鉄の停留場 ウィキペディアから
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稲荷町停留場(いなりまちていりゅうじょう、稲荷町電停)は、広島県広島市南区稲荷町および的場町一丁目にある広島電鉄の停留場である。駅番号はM02。本線・皆実線が接続する。
当停留場にて本線広島駅(駅前大橋)方面・本線的場町方面(休止中)・皆実線比治山下方面・本線紙屋町方面の線路が十字交差(ダイヤモンドクロッシング)する[2]。このうち休止中の的場町方面は2026年春に再開する予定である。[3]。
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歴史
稲荷町停留場は1912年(大正元年)、本線が広島駅前停留場から紙屋町停留場までの区間が開通[6]したのと同日に開設された[7]。ただし停留場の位置は今より100メートルほど西方[8]、京橋川を渡る軌道専用橋(当時)の東詰に置かれていて、現在稲荷町停留場が置かれている場所には金屋町停留場(きんやちょうていりゅうじょう[9])という別の停留場が置かれていた[10]。この金屋町停留場は戦時中の1942年(昭和17年)に廃止されている[10]。
1945年(昭和20年)8月6日、広島電鉄の市内線は原爆投下で被害を受けたものの、当停留場を含む本線の広島駅前から山口町までの区間は同年10月に復旧を果たした[11]。その後も都市整備は進み、1950年(昭和25年)には軌道専用橋に代わって道路と軌道の併用橋である稲荷大橋が完成、橋上に軌道が移された[10]。このころに稲荷町停留場は現在の位置、つまり金屋町停留場がかつて存在した場所へと移設されている[10]。
年表
- 1912年(大正元年)11月23日:本線の開通と同時に開業[7]。今より西にあり、現在の位置には金屋町停留場が開業した[10]。
- 1942年(昭和17年)5月:金屋町停留場が廃止[7]。
- 1945年(昭和20年)
- 1950年(昭和25年)ごろ:現在地に移設[10]。
- 1996年(平成8年)10月:駅番号「M4」を付与[13]。
- 2025年(令和7年)8月3日:本線の広島駅 - 稲荷町間を駅前大橋経由へ付替、十字の線形となる(的場町方面は営業休止)[3]。同時に駅番号を「M02」へ変更『広島電鉄株式会社申請の軌道事業の特許 〜路面電車が高架で広島駅南口に進入し、JR広島駅と直結します〜』(PDF)(プレスリリース)国土交通省鉄道局都市鉄道政策課、2019年11月27日。オリジナルの2020年2月3日時点におけるアーカイブ 。2021年2月17日閲覧。</ref>。
- 2026年(令和8年)春:環状ルートの営業開始により、的場町方面の運行を再開(予定)[3]。
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停留場構造
![]() | この節は更新が必要とされています。 (2025年8月) |
本線はほぼすべての区間で道路上に軌道が敷かれた併用軌道であり、当停留場も道路上にホームが置かれている。
2025年8月2日まで
ホームは低床式で上下2面あり、東西方向に伸びる2本の線路を挟みこむように配置されている[8][14]。また上下ホームどうしは稲荷町交差点を挟んで斜向かいに100メートルほど離れていて、交差点の東に広電西広島(己斐)駅方面の下りホームが、西に広島駅方面の上りホームがある[8][14]。
運行系統
→「広島電鉄 § 運行系統」も参照
本線は広島電鉄が運行するすべての系統が乗り入れているが、このうち当停留場には1号線、2号線、6号線、それに0号線が乗り入れる。
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停留場周辺
停留場が置かれている稲荷町交差点の北西には稲生神社が鎮座している[10]。隣の銀山町停留場との間には京橋川が流れ、本線は稲荷大橋にて渡河する[8]。
バス路線
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隣の停留場
- 2025年(令和7年)8月2日までは、広島駅停留場との間に猿猴橋町停留場が存在した。
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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