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読谷村

沖縄県中頭郡の村 ウィキペディアから

読谷村
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読谷村(よみたんそん)は、沖縄県沖縄本島中部、中頭郡に属する日本の村としては最も人口が多く、人口密度は同郡の北中城村中城村に次いで3番目に高い。2015年の国勢調査では村として人口増加数は2位(1位は同郡の中城村)。

概要 よみたんそん 読谷村, 国 ...
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残波ロイヤルホテル

もとは、沖縄語でこの地域を「ゆんたんざ(読谷山)」と呼んだ[1]

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地理

要約
視点

隣接する自治体

字一覧

元は村制前の16村を引き継いだ16字を置いていたが、のちに6字新設され、現在は22字を数える。

22字ごとに自治会が設置されている。このほか、字によらない大添(おおそえ:字楚辺の一部)、横田(よこた:字座喜味の一部)がある。

  • 伊良皆(いらみな)
  • 上地(うえち)
  • 宇座(うざ)
  • 大湾(おおわん)
  • 喜名(きな)
  • 儀間(ぎま)
  • 座喜味(ざきみ)
  • 瀬名波(せなは)
  • 楚辺(そべ)
  • 高志保(たかしほ)
  • 渡具知(とぐち)
  • 渡慶次(とけし)
  • 長浜(ながはま)
  • 波平(なみひら)
  • 比謝(ひじゃ)
  • 古堅(ふるげん)

以下は村制以後に新設された字。

  • 大木(おおき):1935年、伊良皆・大湾・楚辺・比謝の一部が独立
  • 親志(おやし):戦後、喜名の一部が独立
  • 長田(ながた):戦後、伊良皆の一部が独立
  • 都屋(とや):1951年、座喜味の一部が独立
  • 比謝矼(ひじゃばし):1951年、大湾の一部が独立
  • 牧原(まきばる):1951年、大湾の一部が独立

人口

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読谷村と全国の年齢別人口分布(2005年) 読谷村の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 読谷村
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
読谷村(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 21,410人
1975年(昭和50年) 24,232人
1980年(昭和55年) 26,516人
1985年(昭和60年) 28,536人
1990年(平成2年) 30,750人
1995年(平成7年) 32,912人
2000年(平成12年) 36,115人
2005年(平成17年) 37,306人
2010年(平成22年) 38,200人
2015年(平成27年) 39,504人
2020年(令和2年) 41,206人
総務省統計局 国勢調査より

気候

さらに見る 読谷 (標高90m)の気候, 月 ...
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歴史

西海岸の砂丘上には沖縄貝塚時代(本土の弥生時代相当期)の遺跡が多くあり、渡具知木綿原遺跡からは九州の影響を受けたとされる箱式石棺墓が見つかっている。そのことからこの遺跡は、1978年(昭和53年)11月15日に、国の史跡に指定されている。

また、比謝川の河口付近にある渡具知東原遺跡からは爪形文土器が見つかり、沖縄の先史時代文化が約7000年前まで遡ることが分かった。

  • 1908年4月1日 - 町村制施行により、旧区画における読谷山間切全域を読谷山村(ゆんたんざそん)と定める。
  • 1943年4月 - 村の中央部に帝国陸軍沖縄北飛行場建設開始。
  • 1945年4月1日 - 米軍が北飛行場を目指し上陸、その日のうちに占拠する[4]。翌2日、チビチリガマの「集団自決」が発生[5][6]。読谷村全域が占領地となる。上陸前から疎開先も含め住民の戦火による犠牲者が出ていたが、その後も、疎開先あるいはそこからの帰途に戦火に巻き込まれる形で犠牲者が多数出る[7]
  • 1946年8月 - 米軍基地が95%の土地を占有し、約5%の土地にあたる波平、高志保の一部地域に帰村許可。11月20日 - 第一次移動の約5千人が帰村[8]、12月16日、読谷村に改称。米軍基地はその後も拡大・整備され、2006年まで村中央部を軍事施設が占めることになる。
  • 1997年4月1日 - 現在の読谷村役場が完成。返還前の読谷補助飛行場に建設されたため、日米地位協定第二条第4項(a)の「日米による共同使用」という形を取った。
  • 2014年1月1日 - 岩手県岩手郡滝沢村が市制施行。これにより、読谷村が日本国内で人口最大の村となった。
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米軍施設

沖縄戦で村の95%が米軍に接収され、1972年の本土復帰時においても読谷村の73%が基地となっていた。基地の返還におおくの年月と村民の労力が費やされたが、現在も村面積の36%を米軍基地が占める[9]

さらに見る 施設番号, 返還協定での名称 ...
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2012年現在、読谷村の米軍基地が占める割合は36%。

現在の読谷村内の米軍基地

現在、読谷村では村の面積の36%を米軍基地が占めている。なかでも嘉手納弾薬庫は拘わる5市町村のなかで読谷村が最も多い面積となる[10]

さらに見る 施設番号, 米軍基地 ...
  • 瀬名波通信施設マイクロウェーブ塔: ボーローポイント射撃場(ボーロー飛行場)(陸軍・返還済み) - 東シナ海に沿って建設された飛行場跡地を陸軍が管理して射撃場や地対空ミサイル基地として使用していたが、1977年に区域東側の通信施設部分を残して返還された。残された東側部分は瀬名波通信施設に名称を変え、空軍管理の下継続使用されたが、2006年にマイクロウェーブ塔部分(約0.1 ha)を除くほぼ全域が返還された[11]

行政

教育

小学校

中学校

高等学校

医療

主な病院
  • かなさん内科リハビリクリニック
  • かんだ在宅クリニック
  • なかそね内科
  • まつしまクリニック
  • よみたんクリニック
  • ライフケアクリニック長浜
  • 古堅南クリニック
  • 読谷村診療所
  • 読谷紅いもクリニック
  • 読谷ゆんたくクリニック
  • そべ歯科クリニック
  • たいら眼科
  • はじめ歯科クリニック
  • ふるげん歯科クリニック
  • サンセット歯科クリニック
  • 沖縄アイランドデンタルクリニック
  • 新崎歯科
  • 珀美歯科
  • 読谷歯科医院
  • よみたん眼科
  • 読谷松永眼科
  • よみたん皮フ科
  • 山貴整形クリニック
  • そけん小児科
  • 読谷平和こどもクリニック

交通

バス

  • 一般路線バス - 琉球バス交通沖縄バスの2社により、以下の7系統が運行されている。20番と120番は2社共同運行で、主に国道58号を通り那覇市と名護市を結び、読谷村内の経路は同一で、村の中心部からは外れている。他の5系統は村中心部に近い読谷バスターミナル発着。28番・29番・228番は2社共同運行で、那覇市と読谷村中心部を結ぶ。48番は沖縄バスが運行し、恩納村を経由しうるま市旧石川市域と読谷村を結ぶ。62番は琉球バス交通が運行し、沖縄市・北谷町中心部と読谷村中心部を結ぶ。28番はかつて残波岬まで延長されたが今は廃止されている。
    • 下表の運行会社の「琉球」は琉球バス交通の路線、「沖縄」は沖縄バスの路線、複数表記は共同運行路線。
    • BT=バスターミナル
さらに見る 番号, 路線名 ...

道路

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名所・旧跡・観光

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残波岬灯台
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大河ドラマ「琉球の風」の撮影に使われたオープンセット

読谷村出身の有名人

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屋良朝苗初代沖縄県知事

公人

芸能人

運動選手

放送・郵便

コミュニティ放送
郵便局
  • 伊良皆郵便局
  • 喜名郵便局
  • 読谷郵便局

関連項目

脚注

外部リンク

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