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埼玉県さいたま市西区の大字 ウィキペディアから
さいたま市西区の北部の概ね大宮台地上に位置する。地区の東側を北区日進町、南側を宮前町、西側を清河寺、北側を西新井や上尾市戸崎と隣接する。清河寺交差点の南東側に飛び地がある外、荒川の河川区域内である川越市と西区との市境付近に飛び地が二ヶ所存在する。荒川にある飛び地は内野本郷村ほか、かつて指扇領内の村々が領有していた入会地の名残である[4]。東の境界は鴨川および浅間川が流れ、周辺はそれらによって開析された低地である。地内は浅間川および鴨川流域沿いのごく一部を除き市街化区域に指定され[5]住宅地である。近年までは農地などが目立ったが、日進駅や宮原駅からも近く、新大宮バイパスや上尾道路などの幹線道路に近い。1972年(昭和47年)1月に内野本郷土地区画整理事業が都市計画決定されたが、合意形成が困難な状況で放置されたため、区画整理されることなく2014年(平成26年)3月31日に都市計画が廃止された[6]。
もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡指扇領に属する内野本郷村であった[4][注釈 1]。古くは中世末期頃より存在した水判土荘の内野郷に属していたと云われている[7]。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では135石(田82石余、畑52石余、野銭永135文)、『元禄郷帳』では167石、『天保郷帳』では193石余であった。助郷は中山道上尾宿に出役していた。化政期の戸数は26軒で、村の規模は東西9町、南北9町であった[4][7]。荒川に下谷原入会地を有していた[4]。内野郷の中心に位置していたことが地名の由来である[4]。
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[11]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | さいたま市立日進北小学校 | さいたま市立宮前中学校 |
高崎線宮原駅西口方面からの路線バスが運行されている。さいたま市コミュニティバスは内野本郷方面へ運行されないが、替わりにさいたま市西区指扇地区乗合タクシー「あじさい号」の運行を実施している。
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