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東海旅客鉄道の鉄道路線 ウィキペディアから
太多線(たいたせん)は、岐阜県多治見市の多治見駅から美濃加茂市の美濃太田駅に至る東海旅客鉄道(JR東海)の鉄道路線(地方交通線)である。
中央本線と高山本線を結ぶ路線である。沿線は宅地化が進み、線内運転に限らず岐阜駅との直通列車が運転される通勤・通学路線となっている。
全区間を東海鉄道事業本部が管轄し、IC乗車カード「TOICA」の利用エリアに含まれている。当線内では多治見駅と美濃太田駅にのみ自動改札機が設置されており、途中駅では簡易改札機によって対応している。
普通列車のみがおおむね1時間に1 - 2本程度運行されている。朝夕は14 - 20分間隔で運行されている。
多治見駅 - 美濃太田駅間の列車のほか、高山本線に乗り入れて岐阜駅まで直通する列車もあり、特に昼間帯の下り、夜間の上り列車は大半が高山本線岐阜方面との直通運転を行っている。全列車各駅に停車する。
昼間時間帯などではキハ25形やキハ75形による2両編成で運転され、朝夕ラッシュ時はキハ75形を主体に3 - 4両編成で運転される。閑散時間帯はワンマン運転を実施しているが、3両編成以上の列車には車掌が乗務する(列車番号の末尾が「C」の列車がワンマン列車)。日中は小泉駅と可児駅で行き違いを行う。
1990年3月10日から2012年3月16日までの平日の朝・夜および土曜日(祝日になる場合は除く)の朝には、通勤客向けに座席指定制のホームライナーとして中央線経由で名古屋駅に乗り入れる「ホームライナー太多」が1往復運転されていた。太多線内は「ホームライナー太多」も各駅に停車していた。「ホームライナー太多」は、太多線を経由して愛知県へ直通する唯一の定期列車であった(他の列車は多治見駅から中央本線へ直通しないため岐阜県内で完結する)。
1990年代は、特急「ひだ」が名古屋駅 - 美濃太田駅間で運転見合わせとなった際の迂回経路として使用されることもあった[3]。
多治見駅 - 可児駅間は、東濃鉄道(1944年設立の同名の会社とは別)が1918年に開通させた新多治見駅 - 広見駅(現在の可児駅)間を国有化したもの、可児駅 - 美濃太田駅間は新たに開業したものである。
東濃鉄道は軌間762mmの軽便鉄道で、広見駅は現在の場所より東にあった。1920年には広見駅 - 御嵩駅間が延伸される。
その後、国の多治見と美濃太田間を結ぶ鉄道計画に重なるため、新多治見駅 - 広見駅間が1926年に国有化され太多線となった。広見駅 - 御嵩駅間は新たに設立された東美鉄道に譲渡され、のちに現在の名鉄広見線の一部となった。
広見駅 - 美濃太田駅間が開業し全通したのは1928年である。多治見駅 - 広見駅間も1067mm軌間に改軌され(一部は新線に切り替え)、広見駅も現在の場所に移転した。
( ) 内は改軌(1928年10月実施)前の営業キロ。
多治見駅 (0.00km) - 野中仮信号場 (1.77km) - 小泉駅 (2.90km) - 根本駅 (4.67km) - 大藪口駅 (7.40km) - 姫駅 (9.17km) - 田白仮信号場 (11.43km) - 広見駅 (11.91km)
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