広尾町
北海道広尾郡の町 ウィキペディアから
北海道広尾郡の町 ウィキペディアから
広尾町(ひろおちょう)は、北海道十勝総合振興局南部にある町。
ひろおちょう 広尾町 | |||||
---|---|---|---|---|---|
| |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 北海道地方 | ||||
都道府県 | 北海道(十勝総合振興局) | ||||
郡 | 広尾郡 | ||||
市町村コード | 01642-0 | ||||
法人番号 | 2000020016420 | ||||
面積 |
596.48km2 | ||||
総人口 |
5,911人 [編集] (住民基本台帳人口、2024年8月31日) | ||||
人口密度 | 9.91人/km2 | ||||
隣接自治体 | 広尾郡大樹町、浦河郡浦河町、様似郡様似町、幌泉郡えりも町 | ||||
町の木 | オンコ | ||||
町の花 | つつじ | ||||
他のシンボル |
町の鳥 : カモメ マスコット : さーたちゃんとツリーくん 開町記念日 : 9月20日 | ||||
広尾町役場 | |||||
町長 | 田中靖章 | ||||
所在地 |
〒089-2692 北海道広尾郡広尾町西4条7丁目1 北緯42度17分09秒 東経143度18分42秒 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
「広尾」の地名は当初十勝会所が設けられた現市街地付近の崖下の岬付近の名称で、当初は「びろお」と呼ばれたが後年「尾篭(びろう)」と聞こえるのを嫌って「ひろお」となったとされている[1]。
アイヌ語 | 意味 | 由来 | |
---|---|---|---|
カタカナ表記 |
ラテン翻字 | ||
ピロㇿ | pir-or | 蔭・のところ | 山蔭にあるため。江戸後期のアイヌ語通詞、上原熊次郎による説で、それ以前に秦檍麻呂が同説を書き、松浦武四郎も一説として紹介している。 |
ピオㇿ | pi-or | 石・のところ | 小石が多いため。松浦武四郎『東蝦夷日誌』に書かれた説。 |
ピルイペッ | pirui-pet | 砥石・川 | 永田方正による説。広尾川河口に近い北岸にある青みを帯びた石崖のことではないかとされている。 |
ピラオㇿ | pira-or | 崖・のところ | 『北海道 駅名の起源』では1950年(昭和25年)版以降、同説を支持。1973年(昭和48年)では「ここを境に北方は砂浜であり、南方はどこまでもがけつづきである[2]」と紹介。 |
十勝総合振興局の最南端に位置する。 西部は日高山脈に由来する山岳地帯で日高山脈襟裳十勝国立公園に属しており、東部は太平洋に接する。 地震の多いところである。
広尾町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 広尾町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 広尾町
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
広尾町(に相当する地域)の人口の推移
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||
総務省統計局 国勢調査より |
2015年国勢調査によれば、以下の集落は調査時点で人口0人の消滅集落となっている[4]。
広尾特別地域気象観測所(標高32m、広尾町並木通東)の気候 | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 10.1 (50.2) |
15.7 (60.3) |
17.9 (64.2) |
26.8 (80.2) |
35.8 (96.4) |
33.3 (91.9) |
34.8 (94.6) |
35.1 (95.2) |
33.7 (92.7) |
28.1 (82.6) |
22.4 (72.3) |
16.3 (61.3) |
35.8 (96.4) |
平均最高気温 °C (°F) | −0.3 (31.5) |
0.0 (32) |
4.0 (39.2) |
9.9 (49.8) |
14.6 (58.3) |
16.5 (61.7) |
20.1 (68.2) |
22.1 (71.8) |
20.3 (68.5) |
15.5 (59.9) |
9.4 (48.9) |
2.6 (36.7) |
11.2 (52.2) |
日平均気温 °C (°F) | −4.2 (24.4) |
−3.9 (25) |
0.1 (32.2) |
5.2 (41.4) |
9.8 (49.6) |
12.7 (54.9) |
16.6 (61.9) |
18.6 (65.5) |
16.6 (61.9) |
11.3 (52.3) |
5.2 (41.4) |
−1.3 (29.7) |
7.2 (45) |
平均最低気温 °C (°F) | −9.2 (15.4) |
−9.1 (15.6) |
−4.4 (24.1) |
0.9 (33.6) |
5.8 (42.4) |
9.8 (49.6) |
14.1 (57.4) |
15.9 (60.6) |
13.1 (55.6) |
6.8 (44.2) |
0.6 (33.1) |
−5.8 (21.6) |
3.2 (37.8) |
最低気温記録 °C (°F) | −21.2 (−6.2) |
−22.1 (−7.8) |
−20.2 (−4.4) |
−11.6 (11.1) |
−2.6 (27.3) |
1.0 (33.8) |
4.0 (39.2) |
8.4 (47.1) |
1.6 (34.9) |
−4.1 (24.6) |
−11.6 (11.1) |
−17.2 (1) |
−22.1 (−7.8) |
降水量 mm (inch) | 71.6 (2.819) |
59.9 (2.358) |
95.1 (3.744) |
111.3 (4.382) |
162.4 (6.394) |
149.2 (5.874) |
166.2 (6.543) |
217.7 (8.571) |
262.6 (10.339) |
194.2 (7.646) |
127.7 (5.028) |
91.4 (3.598) |
1,709.2 (67.291) |
降雪量 cm (inch) | 83 (32.7) |
70 (27.6) |
63 (24.8) |
16 (6.3) |
1 (0.4) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
5 (2) |
60 (23.6) |
297 (116.9) |
平均降水日数 (≥0.5 mm) | 9.6 | 9.8 | 11.6 | 11.1 | 11.9 | 10.5 | 12.9 | 13.3 | 12.8 | 11.9 | 12.2 | 10.5 | 138.2 |
平均降雪日数 | 17.4 | 18.1 | 18.9 | 8.9 | 0.9 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.6 | 6.8 | 16.6 | 88.6 |
% 湿度 | 64 | 65 | 66 | 70 | 77 | 87 | 89 | 88 | 82 | 74 | 65 | 63 | 74 |
平均月間日照時間 | 166.1 | 162.3 | 186.1 | 181.8 | 173.1 | 126.7 | 108.3 | 113.9 | 134.5 | 164.5 | 149.2 | 149.4 | 1,815.8 |
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1958年-現在)[5][6] |
広尾は昔時「東、奥蝦夷」と称した地で、東南広尾川に沿える旧土人が住んだ一集落である[3]。当初松前藩士・蠣崎蔵人の給地であった[3]。幕吏・小林卯十郎が海に沿って東行釧路に達する新道を開くに及び、始めて陸路交通の便を得る[3]。寛政の頃から十勝国全部をトカチ場所と称し、会所を広尾に置いて支配人に納税や宿泊等の取扱いをなさしめた[7]。
安政6年、仙台藩の領となり、目付、代官、勘定方等が人夫を伴い来て丸山の麓に陣屋を構え、農家、大工、木挽等を移住させ、穀菜等の試作をなさしめる[7]。同年9月鹿児島藩領となり、同年転じて田安、一橋両侯家に分属され、田安家はビホロ川以北モンベツ川の間を領し、役宅を茂寄に、一橋家はビホロ川以南よりビタタヌンケまでを領し、役宅を音調津に設けた[3]。1871年、田安、一橋両家の支配を罷めた[3]。
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|
茂寄村長・広尾村長・広尾町長(官選) | ||||
初 | 田中好平 | 1906年(明治39年)4月1日 | 1908年(明治41年)11月4日 | |
2 | 浅山敬三郎 | 1908年(明治41年)11月5日 | 1911年(明治44年)3月31日 | |
3 | 天野剛 | 1911年(明治44年)4月1日 | 1916年(大正5年)8月23日 | |
4 | 高山広司 | 1916年(大正5年)8月24日 | 1920年(大正9年)2月23日 | |
5 | 山田力之助 | 1920年(大正9年)2月24日 | 1922年(大正11年)9月27日 | |
6 | 熊倉兼次 | 1922年(大正11年)9月28日 | 1924年(大正13年)10月31日 | |
7 | 坪谷寛吾 | 1924年(大正13年)12月18日 | 1927年(昭和2年)12月15日 | |
8 | 鶴岡七郎 | 1927年(昭和2年)12月19日 | 1930年(昭和5年)4月19日 | |
9 | 橋本粂之助 | 1930年(昭和5年)4月20日 | 1932年(昭和7年)4月24日 | |
10 | 小崎栄吉 | 1932年(昭和7年)4月25日 | 1936年(昭和11年)9月19日 | |
11 | 小池清治 | 1936年(昭和11年)9月26日 | 1941年(昭和16年)5月14日 | |
12 | 高橋武松 | 1941年(昭和16年)5月15日 | 1944年(昭和19年)5月15日 | |
13 | 佐藤伸昭 | 1944年(昭和19年)5月16日 | 1946年(昭和21年)1月7日 | |
14 | 高橋武松 | 1946年(昭和21年)4月12日 | 1946年(昭和21年)11月8日 | |
広尾町長(公選) | ||||
15 | 元野元吉 | 1947年(昭和22年)4月6日 | 1953年(昭和28年)12月30日 | 2期 |
16 | 真岩栄松 | 1954年(昭和29年)2月1日 | 1966年(昭和41年)3月15日 | 4期 |
17 | 本間次郎 | 1966年(昭和41年)4月23日 | 1970年(昭和45年)4月22日 | 1期 |
18 | 村上琢夫 | 1970年(昭和45年)4月23日 | 1976年(昭和51年)6月9日 | 2期 |
19 | 泉耕治 | 1976年(昭和51年)6月10日 | 2000年(平成12年)6月9日 | 6期 |
20 | 大野進 | 2000年(平成12年)6月10日 | 2008年(平成20年)4月29日 | 2期 |
21 | 村瀨優 | 2008年(平成20年)4月30日 | 現職 | 3期 |
基幹産業は漁業、農業(畑作)、酪農。十勝港(国の重要港湾)がある。
『大日本篤農家名鑑』によれば、茂寄村の篤農家は、「田中好平、中村就三、松本四郎、鈴木久太郎、鹽田辰之助、高木藤作、鹽崎政一郎、堀重松、岩浅伊三郎、榮元蔵、丹羽鍬治郎、長澤七次郎」などである[9]。
閉校された学校
かつては広尾線が通っていたが、1987年(昭和62年)2月2日に廃止されている。町内には豊似駅、野塚駅、新生駅、広尾駅が設置されていた。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.