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2002年に公開された日本映画 ウィキペディアから
『ゴジラ×メカゴジラ』(ゴジラたいメカゴジラ)は、2002年12月14日に公開された日本映画で、「ゴジラシリーズ」の第26作である[5][9]。カラー、シネマスコープ、ドルビーデジタル[出典 3]。併映は『とっとこハム太郎 ハムハムハムージャ!幻のプリンセス』[出典 4]。略称は『GMG[15]』『G×MG[16]』『×メカゴジラ[17][18]』。
ゴジラミレニアムシリーズの第4作[出典 5]。ゴジラは前々作と近似した造形に戻される。本作品では主人公で自衛官の家城茜と3式機龍(メカゴジラ)を中心とした物語となっており、ゴジラの描写は自然災害に似た感情移入の余地がない存在として描かれている[22][23]。
本作品でのメカゴジラは、CGによるスピード感あふれるミサイル攻撃や、高機動形態での俊敏なアクションなど、従来のロボット怪獣のイメージを覆す描写がなされた[24][20]。また作中では「3式機龍」が正式名称であり、「メカゴジラ」の名は開発者の1人である湯原とその娘が愛称として呼ぶのみとなっている。
『ゴジラ2000 ミレニアム』(1999年)以降の作品に共通する、第1作以外のゴジラ映画とのストーリー上の関連が一切ないという形は変わらないが、本作品はゴジラシリーズ以外の『モスラ』(1961年版)や『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』(1966年)など、歴史として他の東宝怪獣映画作品の出来事が存在する世界であり[出典 6][注釈 2]、作中に登場するメーサー殺獣光線車のデザインなどにその設定が現れている[7]。
3作品続けて女性が主人公となっているほか、現実には実現していない女性総理大臣が登場するなど、女性の社会進出が進んでいた当時の時代性を反映している[13]。また、東宝特撮映画としては初めて登場人物メインのポスターが制作された[13][26]。
主な舞台は、八景島[注釈 3]、品川駅周辺[27]。品川は第1作『ゴジラ』(1954年)で初代ゴジラが初上陸した場所であり、次作『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』(2003年)でも舞台となった[27]。
1954年に出現した初代ゴジラが倒された後も日本に巨大生物が頻繁に出現するようになった。1999年、館山市からあるものがトラックによって運び出される。その数日後、45年ぶりに2頭目のゴジラが現れ、台風13号とともに房総半島に上陸する。対特殊生物自衛隊=通称「特生自衛隊(JXSDF・Japan Counter-Xenomorph Self Defence Force)」は館山から富山町に向かうゴジラ迎撃を開始するが、まったく歯が立たない[28]。
その戦渦のなか、特生自衛隊員の家城茜は操縦するメーサー殺獣光線車を誤って仲間の73式小型車に激突させ、崖下に転落した73式小型車はゴジラに踏み潰される[28]。自身の命はなんとか助かるものの、茜は仲間を殉職させたという自責の念をぬぐい去ることができないまま、責任を問われるかたちで資料課への転属を命じられる。
一方、日本政府は柘植真智子首相指揮のもと、湯原徳光ら日本有数の科学者たちを招集して対G兵器の開発に着手し、館山沖から引揚げられた初代ゴジラの骨格をもとに、4年の月日を経て2003年2月、ついに「機龍(メカゴジラ)」を完成させる[28]。そして柘植首相は辞職し、2002年10月に科学技術庁長官だった五十嵐隼人が新首相に就任する。時を同じくして、いまだ心にさまざまな葛藤を残している茜の「機龍隊」への配属が決定する。隊員のなかには、茜のミスで兄を殉職された葉山もおり、茜は孤立しながらも努力を重ね、機龍の正オペレーターに任命される[28]。
そして、機龍完成披露式典が行われ、機龍のテスト機動が開始されたとき、ゴジラが太平洋上を北上して東京湾に出現し、茜を含む機龍隊は機龍を発進させる。ゴジラは横浜・八景島に上陸し、その前に機龍が立ちはだかる。機龍はロケット弾とミサイル、メーサーなどの重武装で徐々にゴジラを追いつめ、目標を一瞬で凍結・粉砕する最終兵器「アブソリュート・ゼロ」でとどめを狙う。しかしゴジラが天に向かって咆哮すると、機龍がシステム障害をきたしてオペレート不能に陥り、その隙にゴジラは海中へと姿を消す[28]。しらさぎが機龍を回収し帰還しようとしたところ、突然機龍がまるで意志を持ったかのように暴走し街を破壊しはじめる。ゴジラの咆哮が機龍のDNAコンピュータに干渉し、初代ゴジラの意識が目覚めたのだ[28]。しらさぎ3号機もロケット砲で撃墜され、茜は乗っていた葉山たちを爆発寸前で救うが[28]、目が赤く染まり、「本物のゴジラ」のごとく猛威を振るう機龍を止めるには、体内のエネルギーが尽きるのを待つしかなかった。
体内のエネルギーを使い切り、機龍は停止するも、その暴走によって八景島周辺は全壊する。プロジェクトの総責任者である五十嵐にも責任を問う声が高まり、機龍隊の存続も危ぶまれる。湯原は機龍のDNAコンピュータの塩基構造を変えることでゴジラからの干渉を回避させるよう改良を施す。しかし五十嵐はふたたび暴走するのではないかと恐れ、出動許可を下さないでいた。また湯原の娘・沙羅も、初代ゴジラの骨格から作られた機龍が、本来同族でもあるはずのゴジラを倒すことに疑問を感じはじめる。自身を機龍と重ね、どちらも「求められない命」だという茜に対し、沙羅は生きていてはいけない命などないとこたえる。
東京湾からふたたびゴジラが出現する。特生自衛隊の通常兵器による防衛網をものともしないゴジラは午前1時に品川埠頭に上陸し、市街地を火の海へと変えていく[28]。この事態に五十嵐は、ついに機龍出動を承認する[28]。品川の街に降り立った機龍は、バックユニットを強制排除することでゴジラを圧倒するものの、エネルギー残量の限界が迫る。格闘の末、ゴジラを転倒させた機龍はアブソリュート・ゼロを発射しようとするが、倒れながらゴジラが放った熱線によりコントロールシステムが破損、遠隔操作が不可能になる[28]。茜は手動による直接操作を行なうべくみずから機龍のメンテナンスブースに乗り込み[28]、五十嵐の決断により関東全域の電力が供給される。ゴジラの攻撃を受けて茜は意識を失いかけるが、沙羅の言葉を思い出して奮起し、機龍がふたたび起動する。葉山の身を挺した行動により、機龍はゴジラを捕らえ、アブソリュート・ゼロを至近距離で放つことに成功する[28]。それでも仕留めることはできず、傷ついたゴジラは戦意喪失してそのまま沖へと去っていくが、五十嵐はゴジラを上回る戦力を得たことを確信し、勝利を宣言する。帰還した茜は沙羅に礼を告げ、湯原は機龍が勝った祝いに茜に食事に誘うと言うが、茜は「あれは勝ちじゃない。勝負はついていない」と逆に湯原親子を食事に誘うと機龍に向かって敬礼する[12]。
主要登場人物の名前には、植物や自然関係の言葉が取り入れられている[30]。
製作の富山省吾は、1998年のハリウッド版『GODZILLA』の公開後に「日本のゴジラはこういうもの」とゴジラファンにしっかりと伝えることがミレニアムシリーズのテーマであったといい、平成VSシリーズとは真逆に独立した3本の作品としたいと思っていたが、前作『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』の後、次の題材は白紙であったという[103]。そこで、時代ごとのゴジラシリーズの帰結にしてメインストリームであるメカゴジラを登場させることとなり[注釈 23]、富山は本作品と次作『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』の2本は「終わるためのゴジラ」であり、ミレニアムシリーズの前半3本と次の2本はまったく異なるものであると述べている[103]。
メカゴジラのリニューアルは、富山が『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』製作中の2000年ごろから構想しており[出典 79]、企画は前作と同時に進行された[74]。しかし、前作は大ヒットとなったものの、人気怪獣が登場していたこと、監督が知名度のある金子修介であったこと、同時上映の『とっとこハム太郎』の動員に助けられたことなどがヒットした要因として分析され、次作の製作はすぐには決定せず、正式なゴーサインが出たのは2002年1月になってからであった[66]。脚本の三村渉が依頼を受けたのもその際であり[42][74]、富山は三村が『×メガギラス』のほか、過去にメカゴジラの登場する『ゴジラvsメカゴジラ』(1993年)も手掛けていたことから、時間的な都合もあって監督の手塚昌明との相性が良くメカゴジラへの理解もある三村を起用したと述べている[66][74]。
ゴジラと戦う女性が主人公というストーリーは、手塚が前々年に手掛けた『×メガギラス』と重複する要素であり、企画時点でもスタッフ内から指摘があった[69]。手塚は、同作品主演の田中美里に相談したところ、釈が演じればまったく違う作品になると言われ、吹っ切れたと語っている[69]。
『モスラ』(1961年)や『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』(1966年)などと関連付けた世界観は、第1作『ゴジラ』のみと繋がりがあった平成VSシリーズや前3作品との差別化として取り入れられた[49]。手塚は、劇中で言及されている以外の怪獣についても特生自衛隊の戦果としてリストアップしていたが、ファン自身に考えてもらったほうが面白いと考え、これを公開していない[49]。その後、書籍『3式機龍コンプリーション』(2016年)にて山中和成による特生自衛隊戦史が掲載された[107]。
クライマックスの舞台は、第1作でも登場した品川となっているが、これはオマージュを意図したものではなく、当初のプロットでは新橋となっていたものを、「海から遠い」との指摘を受けて改めたものである[108]。機龍の初戦の舞台も、当初は八景島ではなく葛西臨海公園が候補に挙がっていた[40]。
『ゴジラ2000 ミレニアム』(1999年)後の2作では自衛隊の協力が叶わなかったが、本作品と『東京SOS』では久々の全面協力が実現しており、これによって実物の車両や艦艇、航空機、基地内部をふんだんに使用したリアリティかつ迫力のある映像が撮影されている[61][7]。美術や小道具なども、自衛隊の意向を踏まえたものとなっている[109]。主演の釈をはじめとした機龍隊の一同も、クランクイン前に朝霞の陸上自衛隊駐屯地に通い、自衛隊の訓練に参加している[出典 80]。富山によれば、前作で防衛軍という設定であったゆえに協力を断られた経緯や架空兵器であるメカゴジラが登場することから、防衛庁の協力を得ることは難しいと考えていたが[74]、自衛隊内での別組織という条件であれば協力可能との回答を受け、特生自衛隊が設定されることとなった[104]。
本作品は前作と違い、当初から『ハム太郎』との同時上映が決まっており、その影響で上映時間が従来より15分前後短縮されている[42][111]。また、劇中では『ハム太郎』をもじった看板が登場するほか、湯原沙羅の友人が『ハム太郎』の主人公であるロコちゃんの衣装や髪型をイメージしたものになっており、ハムスターを可愛がるという『ハム太郎』を意識したシーンがある[30][45][注釈 24]。手塚は、子供が鑑賞する映画としては短い方が良いと考えていたことから、上映時間が減ったことは制約にはならなかったといい、むしろ富山から「90分ちょうどでいい」と言われたことに闘志を燃やし、1時間28分ぐらいに収めようと決意したことを語っている[42]。
なお、平成VSシリーズへの参加経験を持つ青井邦夫は、本作品の制作当時に手塚が自身へ一応連絡を取ろうと考えたらしいことを後から聞いたが、当時は可能なら何か手伝いたいと考えていたものの縁がなく、純粋な観客として本作品と次作を鑑賞することになったという[113]。
主演の釈由美子は、富山や手塚が釈の主演作である映画『修羅雪姫』(2001年)を観ていたことから起用された[出典 84]。通常は東宝の演技課がオファーを行うが、釈は富山が直接事務所へ確認した[75]。富山は、制作が決定してからオファーしたところ釈のスケジュールが決定する直前であったため、あと2、3日遅ければ釈の出演はなかっただろうと述懐している[104]。『機動戦士ガンダム』のファンである釈は、機龍に乗り込むシーンはシャア・アズナブルのような気分であったと語っている[46]。一方で、釈は、精神的なプレッシャーから体調を崩し、点滴を受けながら撮影に臨むこともあった[46]。釈は、それまでゴジラ映画を観ていなかった自身がファンの期待に応えられるか、自身が出演することで作品にとってマイナスにならないかといったことを不安に感じ、制作発表でそれまで経験したことのない多数の記者に囲まれたことで精神的に耐えられなくなってしまったという[46]。しかし、そのことが役柄の状況や心情とシンクロし、役とともに乗り越え精神的に強くなれたと語っている[46]。後年のインタビューでは、役に入り込んだことのほか、真夏に密着性の高い戦闘服を着て狭いコクピットで撮影を行っていたうえ、簡単に着脱できないため水分を取らないようにしていたことも倒れた理由に挙げている[110]。
湯原徳光役の宅麻伸は、ゴジラシリーズへの出演は『ゴジラ』(1984年版)以来であった[75]。宅麻は、過去に手塚が参加していた時代劇に出演していた縁で起用された[49]。当時の宅麻はテレビドラマ『課長島耕作』など真面目な役柄のイメージが強かったが、本作品では当時としては珍しい三枚目役となった[49]。
湯原沙羅役の小野寺華那について、手塚はオーディションで芝居がうまさや可愛さよりも生活感のある普通の子を選んだと述べている[75]。
柘植真智子役には、東宝特撮の常連であった水野久美を起用[66]。水野がゴジラ映画に出演するのは『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』以来36年ぶりであった[68][13]。また、水野がゴジラシリーズで普通の日本人役を演じるのは本作品が初めてである[50]。水野の息子である水野純一も関根役で出演しており[49]、共演シーンはなかったが、前橋ロケにて親子での記者会見を行った[50]。
五十嵐隼人役にはVSシリーズに出演していた中尾彬を起用[53]。当初は別の大物俳優が候補に挙がっていたが、諸事情により実現に至らなかった[75]。富山は、総理役の適任がおらず悩んでいたところ中尾に思い至り、東京メディアシティを訪れていた中尾のもとに急ぎ、出演にこぎつけた[104]。中尾は、旧知の東宝演技課が困っていると聞き台本も見ずに快諾したといい、手塚は涙が出るほどありがたかったと述懐している[75]。
葉山役の友井雄亮は、出演作の『仮面ライダーアギト』(2001年)を手塚が観ていたことから起用に至った[49][97]。関根役の水野および女学生役の久遠さやかも本作品制作時に放送中であった『仮面ライダー龍騎』(2002年)に出演しており、手塚は久遠とは仮面ライダーについての話をしたというが、水野は本作品に起用された段階ではまだ出演回が放送されておらず、手塚は衣裳合わせの際に水野から同作品に出演することを伝えられたと述懐している[49]。
機龍開発メンバー役には、従来の東宝特撮には出演していない小劇団系の俳優が起用された[42]。手塚は、尺の都合から1人1人の人物像には踏み込めていないが、個性的な俳優が演じたことでキャラクターが立った旨を語っている[42]。
3式機龍のスーツアクターを務めた石垣広文は、大野剣友会に所属経験のある造形の若狭新一からの誘いで参加した[102]。石垣は依頼を受けた時点でアクション監督へ転向する意志を固めており、本作品がスーツアクターとして最後の出演作となった[102]。
前作監督の金子修介が本作品の現場を見学に訪れた際に、手塚はカメオ出演を依頼したがスケジュールの都合により実現しなかった[53]。
本編は2002年6月3日にクランクイン[出典 85]、8月7日にクランクアップした[47][114]。
特生自衛隊本部の外観および館山での戦車走行シーンは、陸上自衛隊富士学校で撮影が行われた[109][45]。戦車が公道を走ることは自衛隊の許可が降りなかったため、敷地内に信号機やガードレールなどを持ち込んで市街地を表現している[109]。コンビニも同校の購買部を装飾しており、大道具の自動販売機で本物の自衛隊員が誤って購入してしそうになったこともあったという[109]。手塚は、プロデューサーや自衛隊から許可が降りなければ台風のシーンを諦めるつもりでいたが許可され、自衛隊員も雨に濡れる撮影に臨んでいる[49]。散水には敷地脇の湧き水が使えたため、水道代がかからなかったという[75]。ゴジラの骨を積み込むシーンは、海上自衛隊横須賀基地で撮影された[53][45]。
そのほかにも本作品ではロケセットを多用している[109]。首相官邸の外観は旧群馬県庁舎を使用しており、首相の執務室や国会議事堂の階段も同施設内で撮影している[出典 86]。科学技術庁の外観はソニー厚木テクノロジーセンターを用いており、特生自衛隊本部内の喫茶室も同社の設備を用いている[109][27]。自衛隊資料科は神奈川県立図書館で、査問委員会のシーンも同館で撮影している[109][27]。葉山(兄)の葬儀会場は東京薬科大学の体育館を用いており、実際の自衛隊葬儀のビデオを参考としているが、雰囲気のみを活かした独自のものとなっている[109]。湯原の大学の研究室には、水産総合研究センターの研究室を使用しており、三葉虫の水槽以外は室内のものをそのまま用いている[109]。湯原のマンションは都内のスタジオで撮影された[109]。避難所のシーンは都内の廃校を用いており、前半分を館山の避難所、後半分を品川の避難所としている[30][109]。田中美里が出演する病院前のシーンは、イメージに適した場所が見つからず、手塚の発案により東宝撮影所の本館前で撮影された[19][109]。都内が停電するシーンは、実際には横浜市の映像を用いており、撮影を行った横浜ランドマークタワーが協力としてクレジットされている[27]。
ゴジラの骨が保管されている水槽前の部屋はセットで制作している[109]。
冒頭の台風中継のシーンは、東宝スタジオ内の大プール脇で撮影しており、プールを堤防に見立て、エアキャノンで水面を撃って波を再現している[47]。背景にはブルーバックが立てられ、ゴジラの姿を合成している[47]。
館山の避難所で自衛隊員が子供に飴を与えるシーンは、企画協力の三枝徹がメーサー車の検討デザイン画の余白に書いていたコメントを実現したものである[53]。
劇中でのテレビモニターに登場するワイドショーのステージは、『踊る大捜査線』のセットの一部を流用している[45]。
本作品では、怪獣による災害被災者の描写が存在するのも特徴である[61]。ニュース映像の描写や瓦礫などの制作には、阪神・淡路大震災の写真を参考にしている[109]。美術の瀬下幸治は、その他のシーンでも細かい瓦礫の作り込みにこだわったといい、前作にも劣らないものができたと語っている[109]。
茜が雪中でランニングするシーンは、夏場の撮影であったため、現場で造形物の雪を降らせたほか、溶ける雪や白い息などを合成している[117]。
デジタル合成が普及してからは、波長が適したグリーンバックが多用されていたが、本作品ではグリーンのライティングを用いるため、合成にブルーバックを使用している[117]。
旧首相官邸の外観シーンは『ゴジラvsキングギドラ』(1991年)の映像が流用されている[31][118]。品川での戦車が避難民とすれ違うシーンは『ゴジラvsモスラ』(1992年)からの流用だが、デイシーンをナイトシーンに加工している[118]。
特殊技術は、平成ウルトラシリーズや『ガメラ3 邪神覚醒』(1999年)などにも参加し、『×メガギラス』以降の特撮班チーフ助監督を務めていた菊地雄一が初担当[出典 87]。富山は、菊地が過去に特撮班のチーフ助監督を務めていたことから、手塚の意向をまとめられる人物として起用したと述べている[42]。菊地は、まだ自身のカラーが定まっていなかったため難しく考えずやりたいようにやった結果、従来のゴジラシリーズらしくない構成になったと語っている[61]。一方で、映像的には破天荒な描写が可能であっても、手塚の志向するリアリティから離れてしまうため、両者で話し合いが多く持ち、良いところを活かしあったと述懐している[61]。機龍のドック内や初代ゴジラの骨を収めた水槽のシーンなど、人物との絡みが多い場面は手塚がコンテを担当した[108]。
特撮班は2002年6月6日にクランクイン[47][114]、8月15日にクランクアップした[出典 88]。
特撮のセットは、デジタル技術の発展と予算規模の縮小により、オープンスペースと大プール以外はほとんど第9ステージで撮ることとなり、複数のセットを併行して組んでいる[105][114]。次のセットを、使用中以外のステージで組み、第9ステージの空間の中ですべて組み替えをしながら撮影が進められた[75][114]。特殊美術の三池敏夫は、『モスラ』(1996年)での山のセットと同程度の予算で、作品すべてのセットを賄わなければならなず、ミニチュアの数を減らしたために本来必要のない別撮りを行わなければならないなど、苦労した旨を語っている[120]。
特撮セットは、大別して館山、八景島、品川の3箇所を主とし、そのほかに機龍のドックや海底なども制作された[120]。セットの平台は細かく分割した可動式になっており、移動や収納を容易にしている[120]。新規に制作されたミニチュアの建物は10軒に満たず、ミニチュアを制作した実在の建物は横浜・八景島シーパラダイスのアクアミュージアムのみであった[出典 89]。クライマックスの舞台である品川は目立ったランドマークがないため、従来の作品のような建物の再現を行わず、自由な配置としている[出典 90]。機龍が着地する運河も実在のものとは異なる[108][27][注釈 26]。
冒頭の雨のシーンでは、実際に撮影で水を降らせたほか、雨の素材を合成しており、ゴジラの尻尾で弾かれるメーサー砲以外にCGは使用していない[61]。菊地は、同シーンの撮影には『ガメラ3』での経験が活かされているといい、すべてCGでやろうとするとかえって時間がかかってしまうため、CGの使用は最初から考えていなかったと述べている[61]。三池は、雨の撮影は後始末が大変なため身構えたが、『ゴジラvsビオランテ』(1989年)のようなスタジオいっぱいのセットではなかったので、同作品の時のようにステージ外まで泥まみれにはならず、水に濡れる程度で済んだと述懐している[120]。
機龍がビルに突っ込むシーンは、従来の作品では建物内もミニチュアで表現していたが、本作品では本編で撮影した実景の室内に機龍の特撮映像を合成している[121]。当初、ビルのミニチュア内部には釈のカレンダーが飾られていたが、遊びが過ぎるとして本番では不採用となった[45]。
当初はゴジラが東京タワーを放射熱線で破壊する予定だったが、撮影当時の実際の東京タワーには地上波デジタル放送用アンテナ増設工事によるカバーがかかっており、合成が困難だったために実現せず、次作に持ち越された[出典 91]。手塚は、本作品の時点では東京タワーは『モスラ』で破壊されて再建されていないとも述べていた[108]。
東京現像所の小川利弘によれば、手塚ができるだけ実写でいくという意向であったため、CGの制作は従来の作品ほどの苦労はなかったという[123][45]。これについては制作期間が短いためできるだけ現場で処理しようという意図もあったとされ、日本エフェクトセンターの泉谷修は効率的に割り振っていたと証言している[123]。合成カット数は、従来の作品では500カットを超えることもあったが、本作品では386カットとゴジラ映画としては少な目となった[45]。アブソリュートゼロにより海面が凍る合成シーンを担当していた1社でパソコンがクラッシュし全データが消失して仕上がり不能になるという事態が起こり、急遽オムニバス・ジャパンが代理で再製作した[74][114]。ゴジラの骨の水槽内にいる潜水服姿の作業員はフルCGで描写された[50]。
機龍が暴走した際の破壊シーンは、『東京湾炎上』(1975年)のコンビナート爆破シーンや[出典 92]、『ゴジラvsメカゴジラ』(1993年)でのレインボーブリッジを破壊するシーンなど映像が流用されている[118]。
3式機龍の格納庫のセットは『超星神グランセイザー』(2003年)に流用されている[125][126]。
音楽は『×メガギラス』を手掛けた大島ミチルが担当[出典 93]。本作品では、伊福部昭の曲が全く使用されなかった[129][注釈 27]。
前回で音楽が効果音とゴジラの鳴き声に負けてしまったと思った大島によって、90人規模での演奏が可能なモスクワでの音楽録音が提案され、シリーズ初の海外録音が行われた[出典 94]。演奏はモスクワ・インターナショナル・シンフォニック・オーケストラ[74][128][注釈 28]。大島によれば、本作品ではマーチ調の楽曲が主であったため、共産主義の雰囲気が残る同地のオーケストラに向いており、怖いくらいの熱量を感じたと述懐している[128]。大島は、日本では実現できない音の厚みを得ることができたが、スタジオの構造の都合から打楽器と金管楽器の音がすべてのマイクに入ってしまい、調整に苦労した旨を語っている[127]。録音の模様はドキュメントとしてDVDの映像特典に収録されている。また、大島は効果音を把握するため、本作品よりダビング作業にはすべて参加している[127]。
ゴジラのテーマは、『×メガギラス』で作曲されたものを引き続き使用している[出典 95]。テーマの継続は手塚の意向によるもので、大島は作曲家としてはとてもありがたいことであったと述べている[128]。本作品ではテンポを変えるなどしてバリエーションを増やしている[127]。
低音から始まるゴジラのテーマに対し、メカゴジラのテーマは高音の金管楽器を用いたファンファーレ風の楽曲としている[127][128]。この曲について周囲からは映画『ベン・ハー』のようだと評されたが、大島は同作品は観ていないと述べている[127][注釈 29]。
機龍隊のテーマと茜のテーマは、「頑張る人間」を共通のイメージとしている[127]。
戦闘シーンでは、各怪獣のテーマとは別にバトル音楽が設けられている[127]。大島は、従来のゴジラシリーズでは独立したバトル音楽がなかったことは知らず、あって当たり前のものだと思っていたといい、ゴジラのテーマではテンポが遅く不向きであったと述べている[127]。
本作品の公開前後には多くの関連イベントが催された[74]。
2002年10月30日から2003年2月11日まで日本科学未来館で、特撮技術を体験するイベント「ゴジラと科学展」が開催された[130][74]。その前日29日に開かれたオープニングセレモニーでは手塚、富山、萩尾みどりが登壇したほか、3式機龍だけでなく昭和版とVS版のメカゴジラも登場した[74]。
12月1日には日本科学未来館で親子試写会が開催された[74]。釈、手塚、富山、同館館長の毛利衛によるトークショーも行われ、釈と機龍、ASIMOによるフラダンスも披露された[74]。
12月9日には、日本映画専門チャンネル「24時間ゴジラ メカゴジラ大復活祭」のキャンペーンとして、プロ野球マスターズリーグ「東京ドリームス VS 名古屋80D'sers」の始球式にゴジラと機龍が登場した[74]。
12月10日には、HMV渋谷店でインストアイベント「HMV+東宝チャンピオンまつり」が開催され、トークショーに手塚、富山、釈、水野久美が登壇し、ゴジラと機龍も登場した[74]。
12月26日には、新宿タカシマヤで開催されていた「大ゴジラ展」で釈のトークショーが行われた[74]。イベント後にはオークションでゴジラのスーツを着る権利を落札したファンが実際にスーツを着用した[74]。
平成VSシリーズ以降、ゴジラシリーズの玩具展開はバンダイが中心であったが、本作品および次作ではゲームメーカーのコナミも商品展開を行った[118]。コナミは、翌年から東宝製作の特撮テレビドラマ超星神シリーズの玩具展開も担当した[118]。
そのほか、キャンペーンなどでの限定品・非売品も多く展開された[118]。
関連書籍では、東宝の東宝SF特撮映画シリーズや小学館の超全集のほか、東宝特撮の映画単独としては『ゴジラ』(1984年版)以来となる朝日ソノラマのファンタスティックコレクションも発売された[118]。
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