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かつて、放送されていたバラエティー番組 ウィキペディアから
『ラブアタック!』は、1975年11月2日から関西ローカルを開始し、1977年4月3日から全国ネットに昇格して、1984年10月14日までテレビ朝日系列で放送されていた朝日放送制作のゲーム形式の恋愛バラエティ番組である。前述の通り、番組スタートからしばらくは、基本的に関西ローカルで放送されていたが(番組販売でネットした局も一部あり)、1977年4月3日放送分からテレビ朝日系全国ネット番組となった。
ラブアタック! | |
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番組の公開収録が行われていたABCホール (写真は2008年のもの) | |
ジャンル | 恋愛バラエティ番組 |
演出 |
松本修 松田安啓 |
出演者 |
横山ノック エバ 上岡龍太郎 和田アキ子 |
オープニング | キダ・タロー「ラブアタック!オープニングテーマ」 |
製作 | |
プロデューサー | 高田佳一 |
制作 | 朝日放送 |
放送 | |
音声形式 | モノラル放送 |
放送国・地域 | 日本 |
ラブアタック! 7人のサムライ | |
放送期間 | 1975年11月2日 - 1976年3月28日 |
放送時間 | 日曜 18:25 - 18:55 |
放送分 | 30分 |
ラブアタック! (関西ローカル時代) | |
放送期間 | 1976年4月6日 - 1977年3月29日 |
放送時間 | 火曜 23:10 - 水曜 0:05 |
放送分 | 55分 |
ラブアタック! (全国ネット時代前期) | |
放送期間 | 1977年4月3日 - 1980年3月30日 |
放送時間 | 日曜 10:30 - 11:25 |
放送分 | 55分 |
ラブアタック! (全国ネット時代後期) | |
放送期間 | 1980年4月6日 - 1984年10月14日 |
放送時間 | 日曜 10:00 - 10:55 |
放送分 | 55分 |
特記事項: 1977年3月までは関西ローカル。 1977年4月3日からは全国ネット。 |
当初のタイトルは『ラブアタック! 7人のサムライ』で、当時は毎週日曜 18:25 - 18:55 に放送されていた30分番組であった。それから5か月後の放送時間の変更・拡大を機に上岡が司会に登場。同時にタイトルも『ラブアタック!』となり、毎回1時間を2つのカテゴリーに分けて番組を展開した。
番組参加者は、主な収録場所が大阪である関係から、大半が関西の大学・専門学校生が中心であったが、全国ネットになってからは全国の学生に広がった。毎回それぞれのカテゴリで登場する女性(かぐや姫)を巡る男性参加者の攻防が展開された[1]。
第1部(前半)は体力に自信のある男性参加者(「アタッカー」1回につき5名)が様々なゲーム(後述)に挑戦し、最終的に優勝した男性にはスイスの高級腕時計「ラドー」が贈られ、かぐや姫のいるステージで愛の告白をする。
賞品告知の際、立て板に水の上岡の口上が済んだ後、「ホテルプラザベルベデアーのディナー券」という言い回しをボケ役のノックが再度繰り返すが、滑舌悪く発音できないことがオチであり、時にはそれを見た上岡と和田がノックに突っ込みを入れることもあった。
男性が椅子に座った後、かぐや姫は男性の好みのタイプであるかどうかスイッチで判断し、観客と敗者となった男性参加者が「落ちろ!落ちろ!」とコールしながら司会者が「(上岡)○○君の運命はいかに!まいります!(司会者全員)スイッチオン!」と尋ねる。かぐや姫がふさわしいと思えば「YES」のスイッチを押してカップル成立。ファンファーレが流れ、天井に吊るされていたくす玉が割られて大量の紙吹雪と紙テープが降り、カップルにふさわしくないと思えば「NO」のスイッチを押し、しおれたファンファーレを流した直後に男性をステージ下の「奈落の底」へ降下させるというものだった。カップル成立後は、キスを交わすことが恒例となっていた。
第1部と第2部の間には、ゲストを迎えた歌やトークのコーナー(中期)、学生が自ら体験した出来事を面白おかしく語る「㊙キャンパスレポート」などのミニコーナー(後期)や、かつて本番組に参加して失敗したアタッカーのその後を報告するコーナー(末期)があった。
第2部(後半)は主として自己PRや歌や一発芸を中心としたパフォーマーを中心にした男性参加者(1回につき4名)が、そのパフォーマンスをかぐや姫の前で披露し(上岡が「××(大学名など)の○○君がかぐや姫に捧げるその歌は!(歌手名・曲名)はりきって、どうぞ!」と紹介していた)、最終的に第1部と同じように、今度は男性全員が1人ずつかぐや姫に愛の告白を行うが、カップルが成立した時点でくす玉を割り誕生したカップルが降りた後、残りの参加者はくす玉のテープが舞うステージに登壇させられて自動的に奈落の底へ強制降下させられるというものだった。
なお、大抵の回で両方またはいずれかでカップルが成立したものの、両方ともカップルが成立しなかった回や、第2部が1人目でカップル成立という回も年に何回かあった。
後期になるとEDでは、どちらかのかぐや姫がダーツをして(的には「1」「2」「ハズレ」が書いてある)、「1」もしくは「2」に当たったら、当たった方のかぐや姫(カップルが成立したら男性にも)に海外旅行が贈られた。この時も観客は「ハーズーレ!ハーズーレ!」とコールしていた。
数ヶ月に1回、かつて失敗したアタッカーが別なかぐや姫に再挑戦する「みじめアタッカー大会」が行われていた。この「みじめアタッカー大会」に繰り返し出場することが、当時一種のステータスシンボルとされ、大川豊、和田弘樹・和田和樹兄弟らを輩出した。なお挑戦者が登場した時の紹介テロップは、通常は「名前」・「年齢」・「番号」・「所属大学」だが、「みじめアタッカー大会」の時はこれらの他、「〇〇にふられた」と、過去失敗したかぐや姫の名前も載せていた。
収録は基本的に、朝日放送の局舎内にあるABCホールを中心に行われていたが、和田加入後は毎年2月に北海道札幌市のさっぽろ雪まつりの会場の1つである「雪のHTB広場」での公開収録も行われていた。さっぽろ雪まつりでの収録時にもくす玉(中身は大量の紙吹雪ではなく、本物の「雪」)が用意されていたが、奈落の底は滑り台形式になっていた。また、岡山市の岡山武道館での公開収録では、奈落の底のかわりに、椅子がロープウェイのようになっていて、ステージ上から飛んで行った。この他にも、NGであれば黒子に連れて行かれるという演出が別の公開収録であった。
時にはプールで行うこともあった。しかし、かぐや姫は毎回水着姿ではなかった。なお、NGであればプールへ落とされた。とりわけ、インドネシアのバリ島での公開ロケ(2回、2週分の録画)は大好評だった。これは、高田佳一プロデューサーの努力で実現し、ガルーダ・インドネシア航空と現地の豪華超一流ホテルの協力で実現した。司会者のビザの取得でかなりの苦労があった。
この番組には、半ば常連で出場する「みじめアタッカー」も少なからずいて、その中には後の放送作家・小説家百田尚樹、報道番組『ニュースステーション』のコメンテーターを務めた菅沼栄一郎(ニュースステーション出演時は朝日新聞編集委員)、時代小説家の畠山健二などがいる。また、関西テレビアナウンサーの毛利八郎、CBCテレビアナウンサーの塩見啓一、元日本テレビアナウンサーの小倉淳、なにわのカリスマ添乗員平田進也、タレントの清水圭、松本竜助、トミーズ雅、大川興業総裁の大川豊なども出場したことがある。
かぐや姫として出演した女性からは、多くの女優が生まれている。
カップル誕生の商品が当初は石垣島だったが、それが和田の司会就任と相前後して海外旅行となり、バリ島旅行に決まってからかぐや姫、アタッカーともに応募者が急増し、視聴率も飛躍的に伸びた。
開局記念番組でこの番組が紹介される際は、肖像権などの理由から、主に清水圭が出演した回が放送されている。また、百田尚樹が1978年に出場した回(当時3回生・過去5回NG)を他局の番組で紹介する事もある。
アタッカーの在学する大学により、ある程度のキャラクター設定があった。なかでも和田やノックの突っ込みの多かったボケキャラの設定を一身にうけていたのが京都産業大学であった。番組の人気上昇に伴いそのイメージは益々定着した。また、アタッカーの「△△大学○回生…」という自己紹介によって、関西では大学の年次を「○年生」ではなく「○回生」と呼ぶ、ということを知った人も多いと言われている。
1984年10月14日の放送をもって終了し、ローカル時代を含めて9年間の歴史に幕を下ろした。なお、最終回には「結婚に至ったカップルは0組」ということが明かされた[2]。
『第46回ABCホリデーワイド「思い出のABCヒット番組パロディー大全集!」』では、司会にノック、乾浩明(当時ABCアナウンサー)、小林千絵、アタッカーにヤンキース(タツヤ、セイキ)、ライム・ライト(ライム中田、ライト坂田)、東村雅夫(まるむし商店)、かぐや姫に若井小づえ(若井小づえ・みどり)という組み合わせで第1部を再現(関門は「恋の囲碁迷人戦」「必殺! 愛の丸太斬り」「フルコースディナー早食い競争」)。「負け残り」という特別ルールで進行し[3]、「早食い競争」で最も遅かったタツヤが小づえとカップル成立(くす玉が割れた)かと思いきや、小づえが「奈落の底」へ降下してしまうというオチだった[4]。
1990年にはTBSの『怪傑黄金時間隊!!』の復刻コーナーで取り上げられた。ノックを太平シロー、上岡を太平サブロー、和田を山瀬まみ(ホリプロの後輩)が扮した。1994年にはABCと亜洲電視と吉本興業の共同制作で『香港ラブアタック・香港大追愛!』が放送[5]。2002年11月にはBS朝日で『デジタルラブアタック!』というタイトルの復活版が放送された。
パロディとしてフジテレビ『めちゃ×2イケてるッ!』「マネージャー・ラブ・アタック」(2004年6月19日、26日放送)にて「かぐや姫」である高島彩(当時フジテレビアナウンサー)をめぐり、放送当時のマネージャーである片山勝三(極楽とんぼ担当)、難波規精(よゐこ担当)らが当番組の形式でゲームを行った。
放送対象地域 | 放送局 | 備考 |
---|---|---|
近畿広域圏 | 朝日放送 (ABC) | 製作局、現・朝日放送テレビ 1975年11月から1977年3月までは関西ローカルで放送 |
関東広域圏 | テレビ朝日 (ANB) | 1977年4月から放送 |
北海道 | 北海道テレビ (HTB) | |
宮城県 | 東日本放送 (KHB) | |
山形県 | 山形放送 (YBC) | 1978年4月から1979年3月まで放送 |
山形テレビ (YTS) | 1980年4月から放送 | |
福島県 | 福島テレビ (FTV) | 1977年から1978年に放送[6] |
福島放送 (KFB) | 1981年10月の開局時から放送 | |
新潟県 | 新潟総合テレビ (NST) | 現・NST新潟総合テレビ 1981年4月から1983年9月まで放送 |
新潟テレビ21 (NT21) | 1983年10月の開局時から1年間放送 | |
長野県 | テレビ信州 (TSB) | 1980年10月の開局時から放送 |
静岡県 | テレビ静岡 (SUT) | 1977年4月から放送終了不明。1977年4月時点で日曜23:50 - 24:50に放送[7] |
静岡けんみんテレビ (SKT) | 現・静岡朝日テレビ (SATV) 1978年7月の開局時から放送 | |
富山県 | 富山テレビ[要出典](T34) | 放送時期不明 |
石川県 | 石川テレビ (ITC) | 1979年10月から1981年9月まで放送。放送時間は日曜 9:30 - 10:25[8]。 |
中京広域圏 | 名古屋テレビ (NBN) | 1977年4月から放送 |
島根県・鳥取県 | 山陰中央テレビ (TSK) | |
岡山県 | 岡山放送 (OHK) | 当時の愛称はテレビ岡山 1976年1月から放送、終了時期不明 |
広島県 | 広島ホームテレビ (UHT) | 関西ローカル時代から番組販売でネット |
山口県 | 山口放送 (KRY) | 1981年から1982年3月まで日曜 0:50 - 1:50 に放送 |
香川県 ↓ 香川県・岡山県 | 瀬戸内海放送 (KSB) | 関西ローカル時代から番組販売でネット |
福岡県 | 九州朝日放送 (KBC) | |
長崎県 | テレビ長崎[要出典](KTN) | 放送時期不明 |
熊本県 | テレビ熊本[要出典](TKU) | |
宮崎県 | 宮崎放送[要出典](MRT) | |
鹿児島県 | 南日本放送 (MBC) | ネット開始時期不明 - 1982年9月 |
鹿児島放送 (KKB) | 1982年10月の開局時から放送 |
なお、全国ネット化された1977年4月以降、製作局の朝日放送では、毎年8月に夏の高校野球中継時期を迎えると定時放送が出来ない時期が発生していた。その際にはいったんテレビ朝日をはじめとするネット局に裏送りしてから、本来とは別の日時に振替放送する手法を採っていた。同局はこれ以後、日曜10:00枠 → 日曜10:30枠 → 日曜9:30枠の自社製作枠で同じ対処を取り続けていた。なお、当該枠が『サンデーLIVE!!』の一部となってからは番組の性質上撮って出しが不可能なため、高校野球中継に合わせて放送時間を短縮する措置を講じている。
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