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かつてニッポン放送で放送されていた番組 ウィキペディアから
『伊集院光のOh!デカナイト』(いじゅういんひかるのおーデカナイト)はニッポン放送で、1991年3月1日から1995年4月27日に放送したラジオ番組。通称はOh!デカ。
三宅裕司が『EXテレビ』(日本テレビ、読売テレビ)に出演するため、『三宅裕司のヤングパラダイス』を終了することが決定。新しい夜ワイド番組を開始するため、パーソナリティオーディションを実施した。伊集院光と内海ゆたおの2人が最終オーディションに残り、『ヤンパラ』後番組のパーソナリティはゆたおに決定。『内海ゆたおの夜はドッカーン!』を開始した。
漫才一本で芸に取り組みたい、ゆたおはラジオパーソナリティに対して後ろ向きだった。『夜ドカ』のディレクター(当時)松島宏から厳しく接しられた結果、ゆたおは過度なストレスと精神的なプレッシャーから来る体調不良[注 2]となり、番組は11ヶ月で終了した。『夜ドカ』のディレクターだった安岡喜郎はオーディションに残った伊集院に白羽の矢を立て、当番組を開始した。
番組タイトルは伊集院が番組スタッフ側に提出したタイトル案の中で数合わせ的に敢えてセンスがない語彙を入れた題名が採用されたものである[注 3]。
番組の名物コーナー「ザ・ベースボールクイズ」などをメインとして、東京ドームや横浜スタジアム、有明コロシアム、神宮球場など各地でイベントも行っていた。1992年夏には、西武ライオンズ球場のスタンドを中高生のリスナーで満員にするなど、ヤンパラ以来の人気と聴取率を誇った番組であった。
後述の同局とスポンサーとの軋轢の結果、番組改編ではない時期に「番組打ち切り」となった。後番組は『キャイ〜ン天野ひろゆきのMEGAうま!ラジオバーガー』。同番組の聴取率は振るわず、半年で終了。『ゲルゲットショッキングセンター』が定着するまでの間、同放送枠は低迷した。
当該番組の放送回のカウントについて、翌週3月4日(月曜)が『第1回』としてカウントされており、前週金曜の3月1日は『前夜祭』して華々しく放送された。しかし、この編成は金曜に編成されていた『B21スペシャルの活躍金曜日』をニッポン放送編成部のミスで1週早く番組終了させてしまい、パーソナリティであるB21スペシャルのスケジュールが押さえられなかった副産物であった。
23時台のコーナーである、「マドモワゼル詐欺の八百発八百中占い」1993年9月13日放送分にて、翌「(翌週)9月20日の月曜日に、『笑っていいとも!』(フジテレビ)のテレフォンショッキングのゲスト宛てに電報が激増する」という予言(という名目のリスナーへの煽り)を出したところ、当日の「テレフォンショッキング」のゲストであった本田博太郎の元にリスナーの手によって「電話帳にして4冊分」という大量の電報が配送された[3]。伊集院は無視を決め込もうとしたが、偶然本田の娘が『Oh!デカ』リスナーだったため本田本人へ事情が耳に入り、直接本田が番組へ架電し、伊集院は非常に萎縮し謝罪するが、本田がとても洒落のわかる人だったため最悪の事態は回避することができた。その後、番組ディレクターの提案で番組ゲストに本田を呼んで褒め称える放送を行った。
当番組開始直後は24時台のコーナー「さよなら! 尾行マン」が好評で、金曜の『フライデースペシャル』の特別企画として生放送した。その際、尾行マン1号の松本がリポーターとして尾行した女性が、ニッポン放送の大株主(当時)新日本製鐵の代表取締役社長の娘であったことが判明。生放送中盤でコーナーが終了した。
結果、伊集院には事前に「尾行マン」が最終回になる事を聞かされず、最終回では事前に聞かされた音源とは別に、伊集院が尾行された音源をオンエアーで聞かされ、伊集院が番組スタッフと揉めて、ディレクターの安岡が「スタッフの作った物に対して文句を言うのならやってられるか!」と怒ったことでコーナーが終了したと伊集院は思い詰めていた。しかし、数ヶ月後の宴席で安岡が「コーナー終了は伊集院のせいでなく、前述の理由で自分の反省が終わったところで人気コーナーをなくして反省している」と打ち明けて、前述の理由でコーナーが終了したことを説明した。
1993年10月28日、この日はアメリカワールドカップアジア地区最終予選・日本対イラク戦(俗にいう『ドーハの悲劇』)の中継があり、さらにこの試合で日本がW杯出場を決めた場合にはそのあとに特別放送が追加放送されることが決まっていたため、日本がW杯を逃した場合に限って時間枠の余りで短縮放送を行うことになっていた。待機時間中、伊集院は社屋内の公開放送用の第1スタジオ(通称「銀河スタジオ」)にリスナーを約150人ほど集め、一緒にテレビ東京で放送されていたテレビ中継を観戦していた。試合は終盤まで日本リードで進んだため一旦は特番放送、本番組の完全休止が一旦スタッフから告げられ、スタッフたちは特番の準備を始めていた。ところが、ロスタイムにイラクに得点を決められて引き分けとなり、日本の予選敗退に終わってしまった。
まさかの事態に伊集院とリスナーはショックにうなだれていると、スタジオのガラスの向こうが俄然慌しくなり、ディレクターとは違う偉い人が現れ、「10分だけスタジオに戻るので、いつものように楽しいトークを放送してくれ」と伝えられる。伊集院は「集まったリスナー達でさえショック状態にあるのに、家で1人で試合を見聞きしてた人はショックから立ち直れる訳もなく楽しい状況にあるわけもなく出来るわけない」と思っていたが、当時のディレクターだった森谷和郎(現・ニッポン放送取締役)に「出来る」と断言されてしまい、有無も言わさずオープニング曲が流れてきて、番組はスタート。重い空気に包まれたスタジオで、伊集院は苦し紛れに「(当時日本代表選手だった)ラモス瑠偉がショックでまさおに戻っちゃうね」という、当時放映されていた永谷園「Jリーグカレー」のTVCM(Jリーグカレーを食べたまさお少年がラモス瑠偉にモーフィングで変身する)にかけたジョークを喋ったが、その結果「冗談言ってる場合じゃない!」と抗議の電話がニッポン放送に殺到する事態となった。この頃の伊集院は、1分1秒でも長く放送で話したいと思っていたそうだが、この日ほど話したくないと思ったことはないとのこと[4]。
1993年、リスナーからのハガキの「新しいブームのペットはハト!」というネタに大爆笑した伊集院が、「(翌日の番組では)先着10名のハト持参のリスナーをスタジオに招待する」と告知し、翌日、ペットショップで購入したり野生のハトを捕獲してきたリスナーのうち先着10名をスタジオへ招待。連れてきたハト10匹はブース内に放し飼い状態にされ、飛び交うハトでブース内は大混乱。伊集院はリスナー達とロート製薬のCMソング(単独スポンサー提供時のオープニングキャッチでハトが本社工場を飛んでいたことから)を合唱するなど大騒ぎした[3]。
『ぽっぷん王国ミュージックスタジアム』の提供スポンサー・ヤマハとの軋轢で、伊集院が同番組のパーソナリティから更迭され、同局アナウンサー(当時)の荘口と交代。Ohデカ本編もニッポン放送編成部から番組放送日の削減等を命じられ徐々に縮小して行き、上半期番組編成時期を経過した4月末で終了した。
その理由として、伊集院の主観では原因として伊集院と番組スタッフ間で常にすれ違いがあった末最終的にけんか別れしてしまったことと、伊集院の事務所であるホリプロが3月末での打ち切りを見込み、『どんまい!!』(日本テレビ)でスポーツキャスターのレギュラーを組み込んでしまい、スケジュール的に継続が困難となってしまったのも大きな要因であるという説としている[注 12]。
2019年4月時点で、同局元専務のスタッフとは軋轢が続き、2004年7月15日に放送した同局 開局50周年記念特番『ニッポン放送開局記念日スペシャル 笑顔が一番!あなたと一緒に50年』まで同局の敷居を跨ぐことはなかった。開局60周年記念特番『ニッポン放送開局60周年記念 ラジオで聴いた『忘れられぬミュージック』』で、ニッポン放送の番組に10年振りに出演したが同局の正面玄関で当事者であるスタッフとニアミスして、Wikipedia人物伝頁の件を言及された結果、同局の番組に出演することはなかった。
その後、和田アキ子と会食した際にニッポン放送に長年出演してない事を問われ、前述の理由を伝えた結果「『アッコのいいかげんに1000回』に出ろ」と迫られ、伊集院は快諾。2019年5月18日放送分で、ニッポン放送の番組に5年振りにゲスト出演した。以降、同局の番組に継続的にゲスト出演している。遺恨のあるスタッフはその後、同局関連会社の幹部を経て、2019年7月で相談役を退任している。
当番組はブロックワイド形式で、5~6本の「コーナー番組(箱番組)」を内包した。コーナー番組に出演したタレントをOh!デカファミリーと呼称。聴取率調査週間時のゲストとして出演した。
『フライデースペシャル』はコーナー番組を放送せず、ネット局への裏送り向けに制作したものを放送した(☆マークが付いている番組)。
番組内では箱番組とは別に、24時台に全国ネット枠が存在した。ニッポン放送では生放送だったが、ネットワーク編成の関係[注 18]で、ネット局はニッポン放送と同時間帯であっても事前録音(もしくはニッポン放送での生放送分を翌週以降に録音した上で再構成のケースも)で放送した。
番組からは、荒川ラップブラザーズ(ARAKAWA RAP BROTHERS、あらかわらっぷぶらざーず)という、いわゆる企画物ミュージシャンが誕生している。伊集院と久保こーじによるユニット。グループ名は、シャレとして略称がARBとなるように意図されている。1992年6月には日比谷野外音楽堂にて入場料100円ライブを実施した。
以下2枚のCDをリリース。
また、番組後期の1コーナー「STREAKING HERO 全裸マン」からテーマ曲がCD化。伊集院と千葉麗子が出演するラジオドラマのコーナーであった。最終回予告のナレーションは上柳昌彦アナウンサーが行った。尚、CDのジャケットイラストはゆでたまご。またすかんちのローリー寺西、ドクター田中がレコーディングに参加した。
『アナーキー・イン・AK』『GAMAN everybody』『Once upon a time in AK』『全裸マンのテーマ』が2007年2月に通信カラオケDAMにて配信された。
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