田中 大二郎(たなか だいじろう、1988年4月29日 - )は、神奈川県小田原市出身の元プロ野球選手(内野手)。
来歴・人物
プロ入り前
富士見小1年から「小田原ベアーズ」で野球を始める。中学校は高知県の明徳義塾中学校へ野球留学し、3年時に小田原市立酒匂中学校へ転校。東海大相模高校では1年春からベンチ入りし、夏からは4番。2年春の第77回選抜高等学校野球大会では2試合連続弾(うち1本は木下達生から)。3年夏の全国高等学校野球選手権神奈川大会では3本塁打するも決勝で敗退。一塁手として活躍、高校通算44本塁打。2006年の高校生ドラフトで巨人が3巡目指名。11月1日、契約金5000万円、年俸600万円で合意し仮契約(金額は推定)。プロ入団を機に強肩を生かす為、一塁手から外野手へ転向した。
プロ入り後
2007年、3月18日に高卒ルーキーとしては2003年の長田昌浩以来、坂本勇人と共に1軍のオープン戦に右翼手として途中出場(結果は三塁ファウルフライ)。イースタン・リーグでは優先的に出場機会を与えられ、3月24日の開幕戦で高崎健太郎から初打席初安打を放った。チーム最多の88試合に出場、312打数71安打、打率.228、10本塁打、44打点、長打率.413はチーム最多の成績でビッグホープ賞を受賞した[1]。守備面では、9月17日の対ヤクルト14回戦で1試合3補殺のリーグタイ記録をマーク。最終的にはリーグ最多となるシーズン13補殺を記録し、強肩ぶりを発揮。守備範囲も広く、刺殺数も160と外野手で2位を記録したが、打球判断は未熟なところがあり、8失策は外野手としてリーグ最多だった。
2008年も2軍のレギュラーとして活躍。三振も減り打撃に確実性が増した。四球は少なかったが、20死球はリーグ断トツだった。最終的に85試合に出場、打率.266 本塁打11 打点47の好成績[2]で、中井大介と共に2軍の打線の中軸として活躍。6月4日には初の1軍昇格、6月6日に代打として初出場を果たしたが清水直行の前に三振に倒れ、翌日に2軍降格。
2009年、2軍では97試合に出場。打率.261 本塁打11 打点60の成績を残す[3]。 8月4日に腰痛の李承燁と入れ替わりで1軍昇格。当日の広島戦に8番一塁手として初スタメン出場し、第4打席に横山竜士からプロ初安打を記録した。
2010年、2軍では107試合に出場。リーグ17位の打率.273 本塁打8 打点46の成績[4]を残すものの、一軍出場無しに終わった。
小笠原道大を習うようにしており、小笠原の自主トレには帯同している。
引退後
同16日に引退の意向を球団に伝え、今後は球団職員として、巨人軍の少年野球スクール「ジャイアンツアカデミー」の普及に携わることになった[6]。
選手としての特徴
遠投105メートルの強肩。高校時代は「圧倒的なパフォーマンス」と評される堅いファースト守備で注目された。特に素早いバント処理や守備範囲の広さ、柔らかいハンドリングが高く評価されていた[7]。50メートル6.4秒。本塁から一塁までの走力タイム6.3秒。打撃面では長打力に定評はあったものの、ボールへのコンタクト力に課題があった[8]。
詳細情報
年度別打撃成績
年度別守備成績
記録
- 初出場:2008年6月6日、対千葉ロッテマリーンズ3回戦(東京ドーム)、3回裏に野間口貴彦の代打で出場
- 初打席:同上、3回裏に清水直行から空振り三振
- 初先発出場:2009年8月4日、対広島東洋カープ13回戦(旭川スタルヒン球場)、8番・一塁手で先発出場
- 初安打:同上、10回裏に横山竜士から遊撃内野安打
- 初打点:2011年5月18日、対東北楽天ゴールデンイーグルス2回戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)、2回表に永井怜から左前適時打
背番号
- 66 (2007年 - 2012年)
脚注
関連項目
外部リンク
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