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ぎんざNOW!

かつての日本のテレビバラエティ番組 ウィキペディアから

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ぎんざNOW!』(ぎんざナウ)は、1972年10月2日から1979年9月28日までTBSテレビ(以下、TBS)で生放送された、素人参加型の情報バラエティ番組である。司会のせんだみつおが大人気となったほか、のちに著名となったお笑いタレントやミュージシャンが無名や素人時代に度々出演した。

概要 ジャンル, ディレクター ...
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番組概要

関西ローカルのテレビ番組『ヤングおー!おー!』(毎日放送)が深夜ラジオのテレビ化とも言われ、従来のバラエティ番組のスタイルを打ち破って高視聴率を得ていたことから、TBSも同様に若く勢いのある司会・出演者と素人を取り込んだ番組を企画した[注 1]

東京都中央区銀座のサテライトスタジオ銀座テレサ三越銀座店別館[1][注 2]からの観客参加型番組で、初代司会も当時深夜ラジオのDJで人気のあったせんだみつおを起用した。番組開始時のアシスタントにはキャシー中島がいた。

番組開始当時は平日夕方は高視聴率が望めない時間枠であるとされていたが、中学生や高校生が帰宅後に見る番組としてヒットした。後に放送時間も拡大されたが、番組最晩年は『夕やけロンちゃん』のために再び30分に縮小された。

人気コーナーに「しろうとコメディアン道場」(以下、コメディアン道場)があり、ザ・ハンダース関根勤竹中直人小堺一機などがデビューするきっかけともなった。木曜日は「フォーク&ロックの日」としてミュージシャンのゲストが多数出演し、時にはクイーンキッスヴァン・ヘイレンなど、日本国外の大物アーティストもゲスト出演したが、番組の制作費が1本25万円と当時としても低予算だったため、それらゲストにギャラは一切支払われなかった。荒井由実が初めてテレビ出演したのも当番組だったが、放送当日たまたま重大事件が発生し、荒井が歌っている途中で報道番組に切り替わった[2]

花王石鹸の「モコのラブヘアーインタビュー」[注 3]生CMが有った。銀座テレサ近くを通る一般女性に、高橋基子[注 4]が毛髪についてインタビューし、最後に花王石鹸のヘアケア製品をプレゼントした。

基本的に関東ローカルであったが、一時期、一部系列局[注 5]秋田テレビ山形テレビテレビ愛媛(いずれもフジテレビ系列[注 6])でも放送されていた。

中学生、高校生を対象に「ぎんざNOW!」特派員クラブを設立し、1975-1978年まで募集された。特派員が取材内容を報告するコーナーが不定期に設けられていた。

2005年5月1日 0:00 - 0:40に、TBSテレビ開局50周年記念企画としてTBS系列のCS放送であるTBSチャンネルにおいて、単発の再放送が行われた[3][4][5]2006年3月25日 2:00 - 2:40にも、TBSチャンネルで単発の再放送が行われた[6]。内容は、1977年の放送回で、サブタイトルは「しろうとコメディアン道場」。小堺一機が出演した「しろうとコメディアン道場チャンピオン大会」や同コーナーチャンピオンで結成されたグループ「ザ・ハンダース」のコントなどで構成された。

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歴代放送時間

出典:同期間の『毎日新聞』縮刷版

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歴代出演者

要約
視点

司会

  • せんだみつお - 初代司会者。月曜 - 金曜→1976年7月より月曜・水曜・金曜総合司会→1977年4月より月曜・金曜総合司会。1978年12月に体調不良により降板
  • 山本雄二 - 1976年7月から9月まで火曜総合司会を担当
  • 桜金造 - 1976年10月から1977年3月まで火曜総合司会を担当
  • 近田春夫 - 木曜レギュラーを経て、1976年10月から1977年9月まで火曜(主に「フォークソングコンテスト」)パーソナリティを担当
  • 松宮一彦 - 当時TBSアナウンサー。1977年4月から1979年9月まで火曜総合司会を担当
  • 桂歌春 - 水曜コーナー司会を経て、1977年4月から1978年9月まで水曜総合司会を担当
  • 吉村明宏 - 「素人コメディアン道場」出身。コーナー司会を経て、1978年12月より水曜総合司会を担当
  • ラビット関根(関根勤) - 「素人コメディアン道場」初代チャンピオン。木曜コーナー司会を経て、1976年7月から12月まで木曜総合司会(「男の木曜日」担当)、1977年1月から1978年3月までは火曜→のち月曜パーソナリティー(主に「素人コメディアン道場」担当)、1978年12月から1979年9月まで月曜総合司会を担当
  • 小清水勇 - 音楽評論家。洋楽・音楽情報コーナー担当を経て、1976年11月から1978年3月まで木曜総合司会を担当(「ポップティーンPOPS」担当)
  • 阿部敏郎 - レギュラーを経て、1978年4月から1979年9月まで木曜曜総合司会を担当
  • 小堺一機 - 「素人コメディアン道場」出身。レギュラー・コーナー司会を経て、1978年12月から1979年9月まで金曜総合司会を担当

アシスタント

ほか

レギュラー

ラブヘアーインタビュー

その他

ほか

ゲスト

ほか

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しろうとコメディアン道場

『ぎんざNOW!』の名物コーナー(月曜日)で、勝ち抜き方式のお笑いコンテストである。放送期間は74年7月~78年9月まで。毎週ネタを披露し、5週勝ち抜きでチャンピオンとなる。

歴代チャンピオン
※20代目決定後に、歴代チャンピオン大会に出演した時の映像から記載。
★はハンダースの一員

  • 初代 - 関根勤
  • 2代目 - ★鈴木末吉(現:鈴木寿永吉)
  • 3代目 - ★清水アキラ
  • 4代目 - ★佐藤金造(現:桜金造)
  • 5代目 - ★アパッチけん(現:中本賢)
  • 6代目 - 花より団子(現:桂雀々)
  • 7代目 - ★アゴ勇
  • 8代目 - 不明
  • 9代目 - ザ・大和撫子(女性2名のデュオ。その後二人とも教師になった)
  • 10代目 - 不明
  • 11代目 - 吉村明宏
  • 12代目 - 不明
  • 13代目 - ダンディ2(春日井潤(現:春日井順三)、他1名)
  • 14代目 - 不明
  • 15代目 - 不明
  • 16代目 - 不明
  • 17代目 - 小堺一機
  • 18代目 - 不明
  • 19代目 - 竹中直人
  • 20代目 - てっちゃん・しんちゃん(柳沢慎吾、他1名)
  • 21代目~28代目 - 不明
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制作スタッフ

  • 構成(番組構成):リバーサイドウェイ(前期)、前川宏司(後期)
  • プロデューサー:梅沢汎(TBS)[10]、青柳脩(TBS)、川越博、吉村隆一
  • ディレクター:佐藤木生(ホリ企画制作)、居作中一[10]
  • 制作協力:ホリ企画制作(現 ホリプロ制作部・前期)、映像企画(後期)
  • 技術協力:東通
  • スタジオ:銀座テレサ(三越銀座スタジオ)
  • 制作:TBSオフィス・トゥー・ワン(開始年より、1曜日担当)[11]
  • 製作著作:TBS

備考

  • この番組が生放送されていた「銀座テレサ」は、一時期『ロッテ 歌のアルバム』の収録でも使用された。次のTBS土曜正午枠バラエティ番組の生放送も行われた事がある[12](アナウンサーは当時)。
さらに見る タイトル, 放送期間 ...
  • オフィス・トゥー・ワンとしては、初めてテレビ番組制作に進出した番組である。
  • 「銀座テレサ」はTBSが優先的に使えるスタジオとして稼動していたが、1980年代に入りその契約が切れたタイミングで今度はテレビ東京と専用スタジオとして使用する契約を結ぶ。
    同所は改装され、名称も「テレビ東京三越銀座スタジオ」と改まる。テレビ東京の専用スタジオ化以降、『レディス4』の生放送(1982年の番組開始当初から数年間。その後は月曜日が新宿東口の「スタジオアルタ」、月曜以外は本社(現在の東京タワーメディアセンター)からの放送へ移行。詳細は当該項を参照)、1980年代中期に放送されていた若者向けバラエティ『ヤングTOUCH!』の生放送などに使用された後、1980年代後期に閉鎖された。その後、三越がゴルフ用品売り場として使ったのち、2008年に建物自体が取り壊されている。現在は当時とは異なる三越の新館が建設・稼働しており、往時を偲ばせるものは何もない。
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脚注

関連書籍

外部リンク

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