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アダム・ケネディ
アメリカの野球選手 (1976 - ) ウィキペディアから
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アダム・ケネディ(Adam Thomas Kennedy, 1976年1月10日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州リバーサイド出身の元プロ野球選手(二塁手)。右投左打。
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経歴
プロ入りとカージナルス時代
1997年のドラフトでカージナルスから1巡目(全体20位)指名を受けて入団。
1999年7月から8月に開催されたウィニペグパンアメリカン競技大会の野球アメリカ合衆国代表に選出された[1]。大会終了後の8月21日にメジャーデビューを果たす。
エンゼルス時代
1999年オフにジム・エドモンズとのトレードで、ケント・ボッテンフィールド投手と共にアナハイム・エンゼルスに移籍。時折長打を放つ意外性の打撃と、堅実な守備でレギュラーに定着した。
2002年は自身初の打率3割(.312)を記録。リーグチャンピオンシップシリーズでは1試合3本塁打を放つなど大活躍を見せ、シリーズMVPを獲得。チームもワールドシリーズを制覇した。
2004年9月の右肘靱帯断裂を機にアッパースイングからレベルスイングに変更。
2005年はヒザの手術の影響もあり、4月は全休となった。復帰した5月は打率.250と低調だったが、6月に今までの出遅れと不振を吹き飛ばすかのように打率.435と打棒爆発。長打力こそ落ちたものの、3年ぶりとなる打率3割を記録した。
2006年は、開幕から正二塁手としてプレー。打率こそ.273と平凡だったものの、得点圏打率.339をマーク。その勝負強さを買われて中軸に座るなど、1 - 9番までの全打順を経験した。7年連続2桁盗塁となる16盗塁を決め、守備に就いた133試合で9失策と安定感を披露。ちなみに、同年8月16日のテキサス・レンジャーズ戦で、死球に怒ってマウンドに突進したため、4試合の出場停止処分を受けている。同年オフにFAとなった。
カージナルス復帰
2006年オフに3年契約総額1000万ドルで古巣カージナルスへで8年ぶりに復帰した。
レイズ時代
2009年2月16日タンパベイ・レイズとマイナー契約。開幕はAAA級ダーラムで迎えた後、5月8日にオークランド・アスレチックスへトレードされ[3]、翌日にメジャー復帰を果たした[4]。
ナショナルズ時代
2010年2月12日にワシントン・ナショナルズとマイナー契約。
マリナーズ時代
2011年1月10日にシアトル・マリナーズとマイナー契約。
ドジャース時代
2012年1月10日にロサンゼルス・ドジャースと1年契約を結ぶ。
引退後
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選手としての特徴
ポジションはセカンドで、ショート・レフト・ファーストとしてのプレー経験がある。守備範囲は特に広くはないが堅実である。マイナー時代はショートだった。
デビッド・エクスタインとは2001年 - 2004年にかけてエンゼルスで二遊間コンビを組み、共に2002年の世界一に貢献。2006年にケネディがカージナルスに移籍したことで3年ぶりのコンビ復活となった。
詳細情報
年度別打撃成績
- 2012年度シーズン終了時
- ANA(アナハイム・エンゼルス)は、2005年にLAA(ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム)に球団名を変更
背番号
- 8(1999年)
- 2(2000年 - 2006年)
- 7(2007年 - 2008年)
- 29(2009年)
- 20(2010年)
- 4(2011年)
- 3(2012年)
代表歴
- 1999年パンアメリカン競技大会野球アメリカ合衆国代表
脚注
関連項目
外部リンク
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