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エリック・ソガード
アメリカ合衆国の野球選手 (1986-) ウィキペディアから
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エリック・シドニー・ソガード(Eric Sidney Sogard, 1986年5月22日 - )は、アメリカ合衆国アリゾナ州フェニックス出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。右投左打。愛称はナード・パワー(Nerd Power)(後述)。
弟のアレックスと従兄弟のニック・ソガードもプロ野球選手。
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経歴
要約
視点
プロ入り前
デポー大学で三塁手としてプレーし、チームの本塁打記録も作った父ルディの影響もあり、野球を始める。フェニックスのサンダーバード高等学校時代には野球ではチームの打率、出塁率、長打率の記録を更新した。それに加えてサッカーでもミッドフィルダーとして活躍し、チームを州大会準優勝まで導いた。
アリゾナ州立大学から学業とスポーツの両方で奨学金を受け進学。2006年、2007年とパシフィック・テン・カンファレンスで最高出塁率を獲得しベストナインに選ばれる。特に2007年シーズンは100安打以上放ちかつ打率4割超を記録し、カンファレンスの最優秀守備選手にも選出。大学通算の打率は.371で大学の2000-2009のディケイドチームにも選ばれた。2006年までは複数ポジションを守っていたが、2007年は二塁手に固定された。
プロ入りとパドレス傘下時代
2007年のMLBドラフト2巡目(全体81位)でサンディエゴ・パドレスから指名され、プロ入り。
2008年は、A+級レイクエルシノア・ストームでプレーし、二塁手としてオールスターゲームに選出されている。
2009年は、AA級サンアントニオ・ミッションズでプレーし、二塁手としてオールスターゲームに選出されている。
アスレチックス時代
2010年1月16日にスコット・ヘアストン、アーロン・カニンガムとのトレードで、ケビン・クーズマノフと共にオークランド・アスレチックスへ移籍した。9月のロースター枠拡大に伴ってメジャー初昇格を果たした。9月14日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦でメジャーデビューを果たした。
2011年はマイナーのAAA級サクラメント・リバーキャッツではリーグトップの守備率をマークし、遊撃手としてオールスターゲームに選出される。メジャーでは8月23日のニューヨーク・ヤンキース戦でバートロ・コロンからメジャー初本塁打を放つ。この年は内野のユーティリティーとして27試合に出場し、打撃面では打率.200・2本塁打・4打点という成績を残した。守備では遊撃手を14試合、三塁手を10試合、二塁手を3試合で守って無難にこなした。
2012年は出場機会を増やし、37試合に出場して前年と同数の2本塁打を放ったが、打率は.167と低迷した。スピード面では、メジャー初三塁打と初盗塁を記録した。守備面では前年と同じく、一塁手を除く内野の3ポジションを複数試合で守った。
2013年は二塁手のレギュラー格に定着した。8月3日のテキサス・レンジャーズ戦では、地区優勝を争う大事な試合で、スクイズを含む2つのバントを成功させ、相手投手のマット・ガーザを怒らせるほどの活躍を見せた[2]。130試合の出場で打率.266、2本塁打、35打点、10盗塁だった。。
2014年も二塁手で117試合に出場したが、打率.227に留まった。

(2015年8月14日)
2015年1月23日に球団と年俸調停を回避し1年契約107万5000ドルで契約を結んだ[3]。この年は120試合に出場し、打率.247、1本塁打、37打点、6盗塁だった。
2016年は首の張りで開幕から15日間の故障者リスト入りした。4月11日にはリハビリ登録されたものの、左肘の手術を受けることとなり、5月11日に60日間の故障者リスト入りとなった。そのままシーズン終了となり、10月6日に40人枠から外れる形でマイナー契約となってAAA級ナッシュビル・サウンズ[4]へ配属された後、翌7日にFAとなった[5]。
ブルワーズ時代
2016年12月15日にミルウォーキー・ブルワーズとマイナー契約を結び、2017年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[5]。
2017年の開幕は傘下のAAA級コロラドスプリングス・スカイソックスで迎え、5月12日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした。同日のニューヨーク・メッツ戦にて「8番・遊撃手」で先発出場すると、3打席のうち2度四球で出塁、さらに6回裏にはマット・ハービーから決勝点となるソロ本塁打を放つなど鮮烈な新天地デビューを飾った(ちなみにこの日の勝利投手はかつて因縁のあった前述のガーザだった)[6]。この年は92試合に出場して打率.273・3本塁打・18打点・3盗塁の成績を残した。
ブルージェイズ時代

(2019年4月20日)
2018年12月21日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結び、2019年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[8]。
2019年は開幕を傘下のAAA級バッファロー・バイソンズで迎え、4月15日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[9]。
レイズ時代
2019年7月28日に後日発表選手2名とのトレードで、タンパベイ・レイズへ移籍した[10]。このシーズンはブルージェイズとレイズの2チーム合計で110試合に出場し、打率.290・13本塁打・OPS.810を記録した。チームはワイルドカードから地区シリーズまで勝ち進み、ソガードはポストシーズン2試合に出場した。オフの10月31日にFAとなった[11]。
ブルワーズ復帰
カブス時代
2021年3月にシカゴ・カブスとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[15]。シーズン開幕直前の3月28日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[16]。7月23日にDFAとなり[17]、28日にFAとなった[5]。
カブス退団後
2021年のカブス退団後はFAとなる[1]。2022年2月に自身のルーツであるチェコに帰化し、チェコ代表への参加が可能となった[1]。12月3日、チェコ代表としてWBCに参加することを表明した。
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人物
アスレチックス時代にはカルト的人気を誇り[18]、2014年にMLBネットワークが行った「MLBの顔(Face of MLB)」と題したコンテストでは並みいる有名スター選手を退け準優勝まで勝ち進んだ(優勝はニューヨーク・メッツのデビッド・ライト)[19]。ファンからはナード・パワー(Nerd Power)と称され、本人も気に入っていた[18]。ブルワーズ移籍後の2017年のプレイヤーズ・ウィークエンドでは背ネームに使用した[18]。2019年のレイズ移籍後のプレイヤーズ・ウィークエンドではナード顔の絵文字を背ネームに使用した[20]。
母親はプラハ近郊で生まれたが、1968年に起きたプラハの春に対するワルシャワ条約機構軍の侵攻を逃れ、12歳の時に家族でアメリカ合衆国へ移住している。この経緯から、母親は移住後もチェコ国籍を維持し続けていた。[1][21]
詳細情報
年度別打撃成績
- 2022年度シーズン終了時
WBCでの打撃成績
年度別投球成績
年度別守備成績
- 投手守備
- 内野守備
- 外野守備
- 2022年度シーズン終了時
背番号
- 36(2010年 - 2011年)
- 28(2012年 - 2015年)
- 18(2017年 - 2018年)
- 5(2019年 - 同年7月27日)
- 9(2019年7月30日 - 同年終了)
- 7(2020年)
- 4(2021年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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